読売日本交響楽団 第616回名曲シリーズ

 読売新聞社はかつて、アンデパンダン展を主催していた。読響にもその血が流れていることを示すジョヴァンニ・アントニーニ指揮の第1夜。モダンオケの慣習を、力強く打ち破る。
 まずもって読響の "古楽アンサンブル化" が著しい。これは「ノンヴィブラートを使っている」などということが重要なのではない。大切なのは "語り部" である通奏低音奏者がいること。富岡廉太郎(首席チェロ奏者)が子音と運弓とを駆使しておしゃべりをし倒す。岡田全弘(首席ティンパニ奏者)が力感の差異で属和音と主和音とを完全に掌握する。
 その刺激と安定とがないまぜになった土台の上でオーケストラが、レジスター転換(音域変化に伴う音色転換)を利用し、さらにそこに弦楽器の弓の上下、管楽器の息の勢いの変化を加えることで緊張と緩和とを彫り上げていく。レジスター転換、運弓・息の力動差異は、従来のモダンオケならばすべて、均一に奏すことを旨とする事柄ばかりだ。そういう思想に変化が生じている。牽引力というより包摂力を思わせる日下紗矢子のリーダーぶりも古楽らしい。そこに音楽的な素晴らしさが集約されている。
 これでハイドンの歌劇《無人島》序曲が決まらないはずもない。なにせ語ることこそが主眼の作品。そんな作品で達者な弁者たちが、立て板に水で口上を述べる。
 この日、すばらしかったのは、指揮者の求めるこうした音楽像を、楽団はもとより独奏者も共有し、それを最後まで持続させたこと。
 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲には独奏者として、ヴィクトリア・ムローヴァが登壇した。単旋律から対話を思わせる表現を引き出すのが見事。弓が4つの弦を移るたびに音色が変わるので、音域によって登場人物が異なるように聴こえる。そのキャラクターの移動がそのまま、旋律の句読点(アーティキュレーション)となり、その区切りが単旋律から対話風の楽想を引き出していく、という仕組み。
 オーケストラはもとより「多声」なのだが、ここにもひと工夫するのが指揮者の手腕だろう。とりわけ対位法のときに顕著だが、内声を豊かに鳴らす。そうすると、モダンオケにありがちな "ノッペリフォニー" ではなく、ピリオド奏法の目指す立体的な "おしゃべり対位法" が出来上がる。
 こうして(単声の)独奏は独奏なりに、(多声の)管弦楽管弦楽なりに「対話篇」を実現する。その "対話性" が両者で呼応するわけだ。そうすると独奏と管弦楽との対比と親和は、一段、レヴェルを上げる。この一段がすこぶる大きい。
 この "対話性" を維持したまま、ベートーヴェンの第2交響曲へ。初演当時の批評子はこの作品を「まるでハルモニームジーク(管楽合奏曲)のようだ」と評した。その批評を彷彿とさせるように指揮者は、管楽器寄りの音響バランスをとる。このバランスがレジスター転換を強化した。それが強まれば和声の彫りの深さも、声部間のおしゃべり度も増す。
 こうして、ひたすら語り倒す "ヴィーン1800年ごろ" が現出。1998年東京、2011年ライプツィヒ、2014年ハレとアントニーニの指揮する音楽を聴いた。(音盤の販売戦略とは裏腹に)つねに「王道の人」という印象を受けてきた。このたびもまた、その印象は強まる。そしてその王道は、じつに楽しく愉快で刺激的な道であることも同様に再確認した次第。(2018年10月16日 [火] 於サントリーホール


【CD】
アントニーニ&イル・ジャルディーノ・アルモニコ 録音集

アントニーニ 過去の批評】
ライプツィヒ・バッハ音楽祭2011 (3)
ハレ・ヘンデル音楽祭2014(2)



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