音盤比較 オペラ《魔笛》

 モーツァルトの《魔笛》は表に現れる顔の表情の多彩さと、内を貫く背骨の堅牢さとをあわせ持つオペラだ。その両方を捉えることで、この作品の深奥に少し、近づくことができるだろう。
魔笛》には“原材料”とも言うべき作品がある。それはジングシュピール(ドイツ語の歌芝居)《賢者の石》で、《魔笛》同様、シカネーダー一座が上演した。モーツァルトはこの《賢者の石》の制作に協力した。《賢者の石》と《魔笛》はとてもよく似ている。いずれも題材を、ヴィーラント編のメルヘン集『ジンニスタン』から取っている。登場人物の構成も共通したところがある。音楽の点でも《魔笛》には、先行作の《賢者の石》を下敷きにした部分が多い。ついでに言えば、両歌劇の初演歌手は、ほぼ同じメンバーだった。
 ここから分かるのは《魔笛》が、題材の点でも音楽の点でも、大衆劇の流行にどっぷりと浸かっているということ。魔法譚やおとぎ話は当時、大衆演劇で人気の演目だった。モーツァルトはシカネーダー一座のスタイルを踏まえて《魔笛》の音楽を書いた。それはまさに、大衆劇団の素朴なスタイルをモーツァルトの手で発展させたものだ。初演地が街場の劇場だったことも忘れてはなるまい。一方でこの作品は、フリーメイソンリーと密接な関係を持っている。シカネーダーもモーツァルトも、この結社の会員だった。台本にも音楽にもこの結社の印が押されている。
 作品の“出自”に関するこうしたことがらが顔の表情だとすれば、背骨にあたるのは表現の堅牢さ、とりわけモーツァルトの音楽の持つ古典主義的なたたずまいにあろう。彼は先輩音楽家グルックの提唱した「自然・明澄・簡明」の概念を、卑近なものとされた大衆劇と結びつけ、そこに結社の高邁な思想をも織り込む。
 だから、音楽表現の「自然・明澄・簡明」を守りつつ、それを大衆劇の軽妙洒脱さに寄せるか、はたまたフリーメイソンリー劇の荘重さに傾かせるかによって、《魔笛》上演の座標は決まる。
 大衆劇の味わいをしっかりと盛り込むのがルネ・ヤコプス指揮、RIAS室内合唱団、ベルリン古楽アカデミーによる演奏。水のしたたりや風のひと吹き、鳥のさえずりなど自然音を取り入れる。また、台詞に工夫を凝らすのもジングシュピールの楽しさを追求するためだ。
 フリーメイソンリー劇としての荘重さは、ザラストロ役の威厳にかかっている。その点で実に堂々とした歌を聴かせるのがテオ・アダム。オトマール・スイトナー指揮、ライプツィヒ放送合唱団、シュターツカペレ・ドレスデンの録音に聴くことができる。
 夜の女王には、大衆劇の持つ人を驚かせる要素と、神秘的存在の奥深さとが同居する。ウィリアム・クリスティ指揮、レザール・フロリサンの《魔笛》は、この両者のバランスに優れた解釈を誇る。夜の女王役であるナタリー・デセイが、そのバランスの要となっているのは言うまでもない。

【CD】
ルネ・ヤコプス指揮、RIAS室内合唱団、ベルリン古楽アカデミー
オトマール・スイトナー指揮、ライプツィヒ放送合唱団、シュターツカペレ・ドレスデン
ウィリアム・クリスティ指揮、レザール・フロリサン


初出:モーストリー・クラシック 2018年8月号



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