555の「自由」— ドメニコ・スカルラッティの鍵盤ソナタ

 ソナタという語は、カンタータトッカータといった言葉と並べて検討しなければならない。いずれも動詞から派生した名詞で、カンタータは「歌う(カンターレ)」、トッカータは「鍵盤に触れる(トッカーレ)」、ソナタは「楽器を奏でる(ソナーレ)」に由来する。これらは声楽・鍵盤音楽・器楽のジャンル分けと一致している。
 ソナタは17・8世紀、その内容に関わらず器楽一般を指す言葉だったが、用語の使用法としては流行り廃りもあった。はじめは3つ以上のパートと通奏低音とによるアンサンブルを意味することが多かったが、やがて2つのパートと通奏低音、1つのパートと通奏低音、最終的には独奏楽器のみのソナタにまで時代の好みは移っていく。そのころにはソナタと、鍵盤独奏曲を示すトッカータとの違いは薄れ、その境は曖昧になる。このバロック期のソナタの最終地点に位置するのが、ドメニコ・スカルラッティの555曲にのぼる「単一楽章の鍵盤独奏ソナタ」だ。
 スカルラッティは1685年にナポリで産声をあげた。今年で生誕333年になる。イタリアで活躍していたスカルラッティに1719年、転機が訪れる。この年、ローマでの仕事を辞めてリスボンに行き、ポルトガル王の宮廷礼拝堂の楽長に就任した。ここでの仕事は王の子供たちに鍵盤楽器を教えることだった。生徒のひとり、王女マリア・バルバラは音楽の才能に恵まれていたという。このアリア・バルバラスカルラッティの主従関係は、作曲家の死まで続いた。マリア・バルバラは1728年、スペイン王太子フェルナンドとの結婚のため、マドリードに移る。スカルラッティは侍従のひとりとして同行。以後、この地でマリア・バルバラに仕え、作曲に健筆をふるった。
 イベリア半島に移った1720年代以降、スカルラッティはその環境を活かして555曲の鍵盤独奏ソナタを生み出していく。過干渉の父親から離れ、イタリア楽壇の煩わしさからも解放。マリア・バルバラの堅固な雇用の下、他の欧州世界から隔絶されたイベリア半島で、それまでに手に入れた音楽語法とこの半島に特有の音風景とを結びつけ、それを極めて抽象的な枠組みである「単一楽章の鍵盤独奏ソナタ」として結実させる。それを倦むことなく、独創的で実験的な555通りもの仕方で実現した。西洋音楽史上、もっとも自由に作曲をしたのが、イベリア半島スカルラッティだった。
 こうした“自由”の全貌を初めて明らかにしたのが、アメリカのチェンバロ奏者スコット・ロスだ。555曲すべてを録音したという点はもちろん、作曲(者)の自由と演奏(者)の自由、両者が音楽のうちに響き合っているのが素晴らしい。一方、オランダの古典鍵盤楽器奏者ペーター=ヤン・ベルダーは、作曲家の“実験”の全貌を明らかにした。フォルテピアノ、オルガン、複数のチェンバロを駆使した全集録音。冷静な演奏姿勢が逆説的に、555曲の実験精神をあぶり出す。

【CD】
スコット・ロス / ペーター=ヤン・ベルダー


初出:モーストリー・クラシック 2018年10月号



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