ライプツィヒ・バッハ音楽祭2018(3)

アンドラーシュ・シフのバッハ・ナイト】2018年6月13日20時▼ゲヴァントハウス大ホール

 ピアノ1台なのでメンデルスゾーンザール(小ホール)かと思ったら、大ホールのほう。《イタリア協奏曲》《フランス風序曲》《ゴルトベルク変奏曲》と続くプログラム。冒頭の《イタリア協奏曲》を弾き始めたシフ、少し様子がおかしい。独奏部と総奏部とがずれている。したいことは分かる。両者に時間的なずれを生じさせ、それぞれの声部を際立たせ、音楽的な緊張感や独奏の即興性を浮き彫りにする戦略。ただしこれは、精妙でインティメイトな操作なので、狭いサロンならまだしも、大きなコンサートホールで音楽的な身振りとして聞くのは難しい(命の宿る細部が把握できないので単なるズレに聞こえる)。
 ここからがシフのすごいところ。第2楽章以降、その方針を修正し、いったん《イタリア協奏曲》全曲を弾き終える。聴き手の拍手後、なんともう1度、同曲を演奏し始め、終楽章まで弾ききった!。今度は時間的ズレでなく、音色差と音量差と句読点(アーティキュレーション)で声部を描き分け、緊張感の行き来を彫琢。音楽のあるべき姿を取り戻したばかりか、場合によっては新たな魅力を引き出す契機にもなった。こうした軌道修正を即座に行える客観的な耳、誤りを改むるに憚ることのない心、その結果もたらされる修正の適切さ、その適切さが生む新たな価値。このピアニストの凄みである。
 こういう音楽家だから《ゴルトベルク変奏曲》はやはり面白い。音色差、音量差、子音(出ばなの雑音成分)、句読点(アーティキュレーション)といった手札を様々に組み合わせながら、アリアと30の変奏曲とを万華鏡のように見せていく。全体の構築感を含め、各変奏が面白さにあふれているのだが、とくに素晴らしいと思ったのは第10変奏のフゲッタ。同じ旋律を繰り返す、そのたびごとに音色と子音とが違う。だから同じセリフのはずなのに、そのたびごとに違う人物が現れて、その人の口調でそれを言っては次にバトンタッチしていくように感じられる。これは特殊な解釈ではなく、むしろこの変奏曲にありがちな表現だとは思うけれど、それをこれほどまでに鮮やかに、まるで目の前で見えるように演奏したのは、モダンピアノならばコロリオフかこのシフぐらい。見事としか言いようがない。音楽家としての器の大きさを見せつけられた。


写真:拍手に応えるシフ(2017年6月1日 於バーデン・バーデン祝祭劇場)






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