ライプツィヒ・バッハ音楽祭2018(2)

カンタータ・リング1】「待降節と降誕祭」2018年6月8日 20時 於ニコライ教会 ▽ ガーディナー指揮、モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ

 褒めるところがありすぎて書ききれないので、合唱の扱いに照準を合わせる。(いつものように)内声が厚く力強いので、合唱は中身の詰まった立体的な響きになる。それでいて内声は柔軟に動き、繊細に推移する。だから合唱団の声全体がまるで、形を刻々と変える柔らかい(そして時に手応えのある)物体のように感じられる。その物体のフォルムの変容が、詩の情緒の移り変わり、それに即したバッハの音楽の表情の推移をきれいにトレースする。そればかりか、ときにはそれを上回る勢いで自律的にその形を変化させていく。そういう表現がバッハのカンタータ群はもちろん、そのあいだに挟まれたガッルスやシュッツの合唱曲でも力を発揮する。これは合唱だけの手柄ではなく、それを支える器楽の手腕によるところも大きい(コラ・パルテなど)。統率のとれた楽団だが、音楽家ひとりひとりの表現意欲はそれぞれにほとばしっている。すばらしい。


カンタータリング2】「顕現日とマリア潔めの祝日」2018年6月9日 正午 於トーマス教会 ▽ コープマン指揮、アムステルダムバロック・オーケストラ&合唱団

 こちらも褒めるところばかりなので、管弦楽と独唱のクラウス・メルテンス(バス)について。この楽団のすばらしさは、大仰でなく繊細であるにもかかわらず、ニュアンスに富んでいて彫りの深い表現ができるところにある。それは、ことバッハ演奏について言えば、レジスター変化に敏感だから。弦楽上声部が単独で登場、やがて管楽器がそれをベールのように覆い、そこに通奏低音が合流して来るような場面。この重なり合いの推移がもたらす情緒の変化が、精妙であるにもかかわらず、実にくっきりとしている。それが楽想の移り変わり、とりわけ和声や調の変化と平仄を合わせる。指揮者はオルガン演奏の大家でもある。あの精緻なレジスター操作は、その経験からくるものとみてよい。
 クラウス・メルテンスの歌にはいつも、感動させられる。きりがないので一点だけ。彼は音量に大きな変化をつけずにフォルテとピアノとを歌い分けることができる。性格を描き分けているということ。だからフォルテのときに闇雲に大きな声で音割れしたり、ピアノのときに変なささやき声で聞こえなかったり、ということがない。いずれでもしっかりと詩を平土間に響かせ、それでいて詩の情緒は細やかに歌い上げる。こういう管弦楽団と歌い手とが手を組むのだから、BWV82が彫り深く、それでいて柔らかく、その上、決然とした演奏になるのは当然のこと。感に堪えない。








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