ヘンデルの合奏曲

 中部ドイツの街ハレで生まれ、ロンドンで活躍し、のちにイギリスに帰化したヘンデルをめぐって、ドイツとイギリスの間ではいまだに国籍論争が続いている。生まれたのはドイツなのだからヘンデルはドイツ人だ、という声にも一理あるし、おもな活躍の場所がロンドンでイギリスに帰化したのだからイギリス人だ、という主張ももっともだ。この問題は案外に根深い。イギリスのエリザベス女王は2009年、没後250年を記念するハレ・ヘンデル音楽祭に寄せた挨拶の中でさえ、「ヘンデルが人生の大半を過ごし、名作を多数生み出した場所はロンドンだ」と書き、ドイツ側に釘を刺した。このようにヘンデルはいまだに、国際問題を引きおこしかねないほどの人気を誇っている。
 その人気の大元はオペラをはじめとする大小の声楽曲だ。ヘンデルの創作史で声楽作品と器楽作品とを比較すれば、その分量の割合は9対1で、どちらに力を入れていたかは明らか。それにもかかわらず、ヘンデルの器楽曲の存在感はすこぶる大きい。とりわけオーケストラ曲には、どこかでいちどは聴いたことがある、という作品が目白押しだ。
 ヘンデルは合奏協奏曲を22曲、残した。そのうち「作品6」として出版した12曲が、佳作としてとくに名高い。合奏協奏曲は17世紀から18世紀にかけてもてはやされたジャンル。独奏群と合奏群とが楽想・音量・音色・テクニックなどの点で対比をなす。ヘンデルが「作品6」の12曲を作曲したのは、オラトリオの幕間に演奏するため。次の劇場シーズンを見据え、1739年の秋にひと月ほどで全曲を書き終えた。出版は翌年4月。1741年の第2版から「作品6」と明記された。「12曲」の「合奏協奏曲」を「作品6」として出版する。これはヘンデルにとって、先輩音楽家であるコレッリへの賛辞に他ならない。
 ローマで学んでいたヘンデルは1707年、コレッリの知遇を得た。コレッリはこの年、ヘンデルのオラトリオの上演にヴァイオリン奏者として参加。翌年にはコンサートマスターとして楽団を率い、ヘンデル作品の上演に寄与した。コレッリはこれを機に公の演奏活動から引退。以後、作曲や旧作の改訂に精を出し、1711年に12曲からなる《合奏協奏曲集》作品6を完成させた。作品6は作曲家の死後に出版された。
 こうした事績を受けてヘンデルが、みずからの「作品6」に取り組んだことは想像に難くない。ヘンデルは実際、典型的な緩急緩急の4楽章制を守ることよりも、コレッリ同様、そこにさまざまな変化を持たせることのほうに気を配った。その結果、4楽章構成2曲、5楽章構成6曲、6楽章構成4曲の布陣となった。なかにはソロ協奏曲風の楽章や、協奏様式をとらない弦楽合奏の楽章も。多様な音楽を盛り込むことに腐心した様子がうかがえる。
 イギリス王室は当時、舟遊びのイヴェントをしばしば開催した。ドイツからやってきた“外様”王家には、こうした催しを通して国民の支持を取り付ける必要があった。そのうち1717年と1736年の2回、王室は舟遊び用の音楽を作曲するよう、ヘンデルに依頼した。それにより生まれたのが「水上の音楽」だ。内容は華やかで豪快な楽想の舞曲集。大規模な楽器編成が採用された。1717年夏の催しでは、50人もの楽師の乗った船が王の御座船に続き、《水上の音楽》を披露した。
 金管楽器の多用は野外で演奏することを見越して。ヘ長調の第1組曲ではおもにホルンが、ニ長調の第2組曲ではおもにトランペットが、ト長調の第3組曲ではおもにフルートが活躍する。なおこの分け方は、『ハレ・ヘンデル新全集』の校訂者が、調と楽器編成とによって分類したもの。2度の舟遊びでどの曲がどの順番で演奏されたかは分かっていない。豪奢な響きに織り込まれる繊細な節回しや精密なリズム遊びに、ヘンデルの器楽作品の真骨頂を聴くことができる。
 ヨーロッパでは1740年、オーストリア継承戦争が勃発。北米やインドなどの植民地も戦火に巻き込まれた。同戦争は1748年、アーヘン和約によって終結した。この講和条約の締結を国内に知らしめるためイギリス王室は、大規模な祝典を計画。花火の打ち上げをボローニャ出身の2人の職人に、特設舞台の設置をフィレンツェ出身の劇場建築家に、音楽の作曲をヘンデルに依頼した。
 祝典は1749年4月27日、ロンドンのグリーンパークで開催。6日前のリハーサルから《王宮の花火の音楽》は評判を呼んでいた。このとき上演された管楽合奏版は異様なほどの大編成。もっともパート数の多い序曲は、オーボエ24、ホルン9、トランペット9、ファゴット12、コントラファゴット1、ティンパニ3組を必要とした。初演時の記録によると、楽団の大きさは100人。この記録が正しければ、各パートをそうとう増強したとみられる。曲は全5楽章。野外での大編成の上演にふさわしく、壮大なエコー効果を狙った楽想が耳をひく。
 ちなみに、祝典自体は成功とは程遠い状態だった。雨のため花火が着火しない。やっと着火した花火はあらぬ方向に飛び、特設舞台を焼く。舞台を設営した建築家は激怒し、花火打ち上げの責任者に剣で切り掛かった。
 このように混乱した初演から1ヶ月後、ヘンデルは孤児養育院での演奏会でこの作品の管弦楽版を発表した。これは当初、作曲家がもくろんでいた編成。これにより初志を貫徹したことになる。
 ヘンデルはオーケストラ曲を片手間に書いていた。だからといってその片手間が、品質の低下を招いたかといえば、そんなことはない。むしろ、それぞれの用途にきちんとあてはまるようにヘンデルは、綿密な計算を働かせた。こうした手入れの行き届いた曲づくりを、ごく短期間で成し遂げてしまうところに職人としての技量のたくましさが、生み出された曲に、多くの聴き手が魅了されるところに音楽家としての水準の高さがあらわれている。


【CD】

《合奏協奏曲》作品6▼ホグウッド(指揮)ヘンデル&ハイドン・ソサエティ
《合奏協奏曲》作品6▼アントニーニ(指揮)イル・ジャルディーノ・アルモニコ
《水上の音楽》▼サヴァール(指揮)ル・コンセール・デ・ナシオン
《水上の音楽》▼カールヴァイト(指揮)ベルリン古楽アカデミー
《王宮の花火の音楽》▼ニケ(指揮)コンセール・スピリチュエル
《王宮の花火の音楽》▼ピノック(指揮)イングリッシュ・コンサート


初出:モーストリー・クラシック 2018年2月号






.