メシアン《アッシジの聖フランチェスコ》(カンブルラン&読響 )

読売日本交響楽団 第606回名曲シリーズ▼2017年11月26日(日)サントリーホール

 楽団の創立55周年と作曲家の没後25周年とを記念して読響が、シルヴァン・カンブルランの指揮の下、メシアンの歌劇《アッシジの聖フランチェスコ》を演奏会形式で上演した。全3幕8景、正味4時間半の大作で、全曲演奏は日本初演
 独唱の連なりで状況を描き、各場面の掉尾にコラール風の合唱を置く音楽運びは、バッハも《ヨハネ受難曲》などで実践した。これは精度の高い合唱団あっての物種。差音が聞こえるほど調和した協和音、険しく軋むような不協和音、そしてどこか美しく響く不協和音。3つ目にメシアンの個性がにじむ。合唱団がそれをよく掬いとった。
 作曲家は聖人の言葉のうち重要なもの、たとえば「十字架だけが誇り」や「私も癒されるに値しない」といった詞章を、伴奏なし(器楽の旋律重複あり)の裸の声で表現することで、場面をまたいで呼応させる。声楽と管弦楽とが均衡しているため、一方が姿を消すと、他方の力強さが表に出る。こうした“均衡と逸脱”を実現し、作曲家の思い描く信教上の力点を浮かび上がらせた点に、指揮者の精密すぎるほどのバランス感覚と、それに応える楽団の誠実さとがうかがえる。この裸の声は、ベートーヴェンが《荘厳ミサ曲》で用いた表現法に他ならない。
 このようにメシアンは、西洋音楽史の堆積の頂にこの歌劇を据えた。作品の革新性だけでなく、そこに折り重なる歴史性も、題名役のル・テクシエをはじめとする独唱陣、新国立劇場びわ湖ホールの合同合唱団そして管弦楽が、集中力を切らさずに描き出した。扇の要はもちろん指揮者。カンブルランがこの作品の再演の種を、日本にまいてくれた。この種を芽吹かせることこそ、指揮者への答礼となるだろう。


初出:モーストリー・クラシック 2018年2月号






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