三本の柱が支える立体感 ― バッハ《音楽の捧げ物》

 バッハはその晩年、いくつかのツィクルスに取り組んだ。ツィクルスとは「連作」のことで、互いに関連の深い楽曲をひとまとめにしたもの。器楽曲では《ゴルトベルク変奏曲》《フーガの技法》《高き御空より我は来たり》《音楽の捧げもの》、声楽曲では《ミサ曲ロ短調》がバッハの最後の課題だった。
 そのうち、作曲のきっかけがはっきりしているのは《高き御空より我は来たり》と《音楽の捧げもの》。後者のバックグラウンドはとりわけ興味深い。1747年5月、バッハはプロイセンのフリードリヒ大王に招かれ、ポツダムを訪問した。そこで大王から「王の主題」が示され、バッハはそれに基づいて即興演奏を行った。ふた月後「王の主題」をさまざまに用いて作り上げた曲集を大王に献呈。その後、そこに数曲を書き足して出版した。
 《音楽の捧げもの》は他のツィクルスと同じく「厳格な作曲法の集大成」の意味合いが強い。一方、際立って違うのは、そこに即興演奏の痕跡や実演の見込みが織り込まれていること。即興演奏を跡付ける《三声のリチェルカーレ》、厳格書法の代表《六声のリチェルカーレ》、王の演奏を見込む《トリオソナタ》はこの曲集の三本の柱だ。この三本柱を、古楽第一世代のグスタフ・レオンハルトと、第二世代の有田正広とで比較してみよう。
 《三声のリチェルカーレ》はどちらもチェンバロの独奏で、レオンハルト盤は自身が、有田盤は有田千代子が担当している。レオンハルトの方がわずかにテンポが速く、そのことが即興演奏のライブ感を増す効果を持つ。いっぽう有田の落ち着いた足取りからは、三連符でのギアチェンジがよりはっきりと感じられる。18世紀半ばの「当世風」がそこににじみ出ている。
 取り組みとして面白いのは《六声のリチェルカーレ》。レオンハルト盤は自身のチェンバロ独奏だが、有田盤にはチェンバロ独奏の他、合奏版が収録されている。楽器の音色の違いが、迷子になりがちな聴き手の耳を自然に対位法へと誘う。
 室内楽編成の対位法楽曲として捉えるか、対位法のスパイスの利いた室内楽曲と捉えるか。《トリオソナタ》に相対するときにはこうしたことが問題になる。レオンハルト盤のクイケン兄弟とロベール・コーネンは前者寄り、有田盤の有田正広寺神戸亮、中野哲也、有田千代子は後者寄り。その傾向は最終楽章に最も強く出る。クイケンらは各パートが絡みつつ水平方向に進んでいく対位法そのものを推進力として利用する。一方、有田らはこの楽章の本来の性格である舞曲ジグのリズムを活かして、それを駆動装置とする。もちろんクイケンらも舞曲のリズムを捨てないし、有田らも対位法の絡み合いの妙を放り出したりはしない。バランスの取り方が微妙に異なるということだ。
 厳格さ、即興性、臨場感。抽象的なツィクルスと思われがちなこの曲集の真の魅力は、両者の録音を比較することで立体的に立ち現れてくる。


【レオンハルト盤】グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)▼バルトルト・クイケン(フラウト・トラヴェルソ)▼シギスヴァルト・クイケン(バロック・ヴァイオリン)▼ヴィーラント・クイケン(ヴィオラ・ダ・ガンバ)▼ロベール・コーネン(チェンバロ)▼録音:1974年〔SRCR-2123〕


【有田盤】有田正広(フラウト・トラヴェルソ)▼寺神戸亮(バロック・ヴァイオリン)▼若松夏美(バロック・ヴァイオリン)▼中野哲也(ヴィオラ・ダ・ガンバ)▼有田千代子(チェンバロ)▼録音:1993年〔COCO-70463〕


初出:モーストリー・クラシック 2014年6月号




.