あの音楽家の演奏が聴きたい ― 鍵盤楽器編

バッハ

 「バッハこそ、この世がはじまって以来もっとも傑出したオルガン奏者でありクラヴィーア奏者である」(『故人略伝』1754年)
 故人の業績を讃える言葉だから少し大げさだが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)が鍵盤楽器奏者として並外れた能力を持っていたことはまちがいない。鍵盤楽器の達人という評価はバッハが30歳代の頃にはすでに広まっていたようで、こんなエピソードが残っている。1717年ドレスデンで、フランス人演奏家ルイ・マルシャンとクラヴィーアの弾き比べをすることになったバッハ。ところがこの勝負はマルシャンの敵前逃亡でお流れに。バッハの強者ぶりが忍ばれる。
 そんなバッハがもっとも愛した鍵盤楽器は何か。1802年にフォルケルが著わした『バッハ伝』には「バッハがもっとも愛した楽器はクラヴィコード」とある。たしかに幼い頃から親しみ、もっとも長い時間触れ合った鍵盤楽器クラヴィコードに違いない。クラヴィコードは、誰かに聴かせるための楽器というよりも、自分で演奏し自分で聴くための楽器。たいへん音が小さいが、一方でチェンバロには出来ないクレッシェンドや、ヴィブラート(!)のような表現も可能だ。鍵盤楽器で細やかな楽想を表すには、今も昔もクラヴィコードがもっとも適している。
 バッハがこの理想の鍵盤楽器を使って自分の満足のために演奏した音楽。最も聴きたい演奏は、と問われれば、そう答えるより他にない。


ルフェビュールとフランソワ

 バッハが聴きたい、モーツァルトも良い、ショパンやリストもぜひ、と言っていると想像力だけが頼りになってしまうので、せめて録音、つまり故人を思いやる「よすが」の残る演奏家に照準を合わせよう。
 イヴォンヌ・ルフェビュール(1900-1986)はフランスのピアニスト。シューマンラヴェルで水際立った演奏を聴かせてくれる。たとえば、シューマンの《交響的練習曲のための5つの変奏曲》(作品13補遺)では、内声に隠れている旋律線をごく自然に浮き彫りにすると同時に、その内声を音色づくりのパーツとしても活かす。横の流れと縦の響きとを妙なるバランスで実現できるところが大きな魅力だ。
 こうした演奏スタイルは弟子にも受け継がれた。たとえば、サンソン・フランソワ(1924-1970)。師のルフェビュールをたいそう困らせる「不肖の弟子」だったようだが、その「ピアノの流儀」ついてはしっかりと受け継いでいる。横と縦、歌と響きが両立する演奏は、ドビュッシーの《ベルガマスク組曲》などで聴くことが出来る。


ソフロニツキーリヒテル

 一方、目をロシアに向ければ、ウラディーミル・ソフロニツキー(1901-1961)の存在感が際立っている。ソフロニツキーは、自身の音楽の基礎をショパンに置いていた。彼がスクリャービンを頻繁に採り上げたのも、この作曲家が自分に劣らぬショパン好きだと見抜いていたからだ。実際、スクリャービンショパンに心酔していた。そのことは彼のピアノ曲のタイトルやスタイルを眺めれば、自ずと浮かび上がってくる。つまりソフロニツキースクリャービンをつないでいるのは他でもない、ショパンなのだ。
 ショパンの《ポロネーズ 変イ長調》作品53、俗に「英雄ポロネーズ」と呼ばれる作品。「有名な(低音部の)オクターブのパッセージ(第83-119小節)をピアニッシモで始め、ダイナミックなクレッシェンドをそうとは気づかせずに終わりまでもっていく」。また「(第137-150小節の低音部では)心もち間延びしたアクセントをつけて、遠くから聞こえてくる大砲の、鈍い轟音のような感じを出す」。これらは、ショパンが「英雄ポロネーズ」を演奏したときのことを同時代人が回想したものだ。同時にソフロニツキーの演奏の特徴にも見事に合致している。ことほど左様にソフロニツキーは、ショパンの演奏に肉薄していた。
 そんなソフロニツキーを追う世代として台頭したのが、スヴャトラフ・リヒテル(1915-1997)だ。シューベルトの《クラヴィーア・ソナタ第21番 変ロ長調》D960は長大な楽曲で、下手をすると聴き手に間延びした印象を与えかねない。しかし、リヒテルの手にかかれば、この曲に見事な内実が与えられる。それは和声進行、つまり緊張と緩和の積み重ねに手抜きがないからだ。たとえば「ドミソ」(緩和)に戻る前の「ソシレファ」(緊張)で、「シ」と「ファ」を厚く響かせる。そんな細部の積み重ねが、ひとつひとつの終止、ひとつひとつの転調を深く意味付ける。この「彫りの深い和声進行」によって長大な曲をぎゅっと束ねる音楽性が、この音楽家の身上だ。そういう演奏だからこそ、ベートーヴェンが活き、リストが活き、プロコフィエフが活きる。


初出:音楽現代 2012年6月号


【CD】

ルフェビュールフランソワソフロニツキーリヒテル



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