映画に聴くモーツァルト



 劇付随音楽の歴史は古い。たとえば16世紀の劇作家シェイクスピアは、自作の上演にあたって付随音楽に関する詳細な指示を書き残した。こうした音楽演出の分厚い伝統が、映画の世界に流れ込んでいることは間違いない。
 宴会の音曲など場面を示す音楽、不思議な出来事を縁取る魔術的な音楽、場や人の性格をくっきりと描く性格的な音楽と、求められる役割は古来の劇付随音楽にせよ、最近の映画音楽にせよ、あまり変わらない。
 ただ映画が、演劇とは異なる表現形式を手に入れたことにより、そこで求められる音楽像もまた、劇付随音楽からは変化した。映画の表現にとって重要な絵筆はおもに、撮影と編集だろう。このふたつによってさまざまな描写が可能になった。たとえば、クローズアップによって俳優のわずかな動きで大きな心情変化を表したり、細かいカット割りで場面の推移にリズムを作ったり。音楽もこうした映画特有の表現に沿ったものが選ばれる。
 モーツァルトの作品には、そんな映画表現にふさわしい特徴を持っているものが多い。一瞬で聴くものの心をつかむ性質、ときに細やかに、ときに大胆に変化する情緒を描き出す性質、忘れがたい旋律で映画全体の雰囲気を作る性質。映画音楽に求められる音楽像はそのまま、モーツァルトの作品像と重なる。
 実際、彼の楽曲が用いられた映画を見渡してみると、上記の性質の色濃く現れる作品が選曲されている。オペラ《ドン・ジョヴァンニ》の二重唱《お手をどうぞ》は、ラフェルソンの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1981年)などで使われた。この曲は、モーツァルト作品の中でも屈指の編曲率を誇る。ベートーヴェンパガニーニショパン、リストらが、この曲を主題に変奏曲を書いた。《お手をどうぞ》の、一瞬で人の耳を奪う力に、後輩作曲家も現代の映画監督も目をつけたというわけだ。
 次に注目したいのはモーツァルト短調作品。当時、欧州の音楽作品は長調が多く、モーツァルトに限らず短調作品は少なかった。だから一層、短調に込められる情念は深くなる。その深さの甚だしいのがモーツァルトだ。たとえばハ短調ニ短調の《幻想曲》、ト短調の《交響曲第40番》、ニ短調の《ピアノ協奏曲第20番》、ハ短調の《ミサ曲》が、ベルイマンの「鏡の中の女」(1976年)やゴダールの「パッション」(1982年)など多くの映画作品で、闇をえぐる役割を果たす。
 《クラリネット協奏曲》はモーツァルト作品の中で、映画にもっとも多く登場するもののひとつだ。とりわけニ長調の第2楽章が頻出する。18世紀以来、澄み切った旋律美で愛される1曲。ポラックの「愛と哀しみの果て」(1985年)、ウィアーの「グリーンカード」(1990年)などで、叙情的なメロディーが映画の性格を彩る。いずれの作品も偽装結婚を発端とする物語。諦念の漂うような透明度の高いメロディーが効果的に響く。


【CD・DVD/BD】

映画▼ラフェルソン監督「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1981年)▼ジャック・ニコルソンほか

音楽▼オペラ《ドン・ジョヴァンニ》全曲▼ヴァイサー(バリトン), ヤコプス(指揮), フライブルク・バロック・オーケストラ(管弦楽)ほか

映画▼ゴダール監督「パッション」(1982年)▼ハンナ・シグラほか

音楽▼《交響曲第40番》《ミサ曲ハ短調》▼ガーディナー(指揮), モンテヴェルディ合唱団(合唱), イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(管弦楽)ほか

映画▼ポラック監督「愛と哀しみの果て」(1985年)▼R・レッドフォードほか

音楽▼《クラリネット協奏曲》▼ホープリッチ(クラリネット), ブリュッヘン(指揮), 18世紀オーケストラ(管弦楽)


初出:モーストリー・クラシック 2016年2月号




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