ハレ・ヘンデル音楽祭2016

 中部ドイツの丘陵地帯、ザクセン・アンハルト州の街ハレは、ヘンデルの生まれ故郷として知られている。そのことはこの街にとって、精神的には誇りであり、経済的には観光資源でもある。ヘンデル音楽祭では、この両者が密接に結びついている。とりわけ作曲家の没後250年だった2009年を境に、音楽祭の水準は飛躍的に向上。精神面での充足度も経済面での恩恵度も上がっている。もちろん参加する聴き手の満足度も高い。
 2016年もまた、この音楽祭の魅力は充分に発揮された。ひとことで言えばそれは「歌」。5月27日から6月12日までの17日間、オペラやオラトリオの分野で活躍したヘンデルの真骨頂を、52のプログラムで明らかにした。


 5月28日に聴いたオペラ《カトーネ》(演奏会形式、ウルリヒ教会コンサートホール)にまず、驚かされた。この作品はパスティッチョで、レオ、ハッセ、ポルポラ、ヴィンチ、ヴィヴァルディと当時随一のオペラ書きのアリアを、ヘンデルが継接ぎしたもの。各地に散らばる高名な作家たちの曲をかき集められる立場にヘンデルがいたという点に、この作曲家の社会的立場の強さが表れている。
 瞠目すべきは演奏陣。みな達者だが、図抜けて強い印象を残したのはソニア・プリーナ(カトーネ役、写真前列左から3番目)だ。男性アルト歌手の活躍が目立つこの分野で、「私がいるぞ!」という存在感を前面に出すメゾソプラノ。歌はつねに芯のある響きで明晰。つまり「明晰」に笑い、「明晰」に誇り、「明晰」に陰り、「明晰」に嘆く。18世紀の感情表現の王道だ。男性アルトには避けがたい「音域のつなぎ目の段差」がなく、レジスターの変わるキワも清洌。そういう歌手だから「重みのある堂々としたコロラトゥーラ」などという芸当も、さも当たり前にこなす。バロック・オペラの主役の典型「高潔な人士」を演じるために存在するかのようなメゾ。聴衆はさかんに拍手を送っていた。


 オーストラリアの男性アルト歌手、デイヴィッド・ハンセンによるガラ・コンサートは、5月30日(フランケ財団ホール)。たいへんな「こもり声」の持ち主だが、音域の上から下まで安定して均一な声を出せる。それを土台に針から丸太まで自在に息の太さを変える。見事なのは音程で、まったく外さない。もっとも素晴らしいのは、そういう演奏上のタレントに溺れず、徹頭徹尾、子音と母音、すなわち言葉の伝達に留意していたことだ。「こもり声」の男性アルト歌手にありがちな「不安定/音程が悪い/言葉が乗らない」という問題を、すべて解決している。その上、サービス精神が旺盛で、音楽上も見世物上も、楽しい舞台となった。
 オーケストラ(デ・マルキ指揮、アカデミア・モンティス・レガリス)も佳い仕事をした。歌手の「こもり声」の響くところとは異なる位置に、管弦楽の合いの手や言い争いの「声」を響かせるので、音響空間を棲み分けた上で曲の全体像を示すといった、よくできたパズルのようなサウンドを実現した。
 男性アルトに負けない前掲のプリーナにも感心したが、すぐにプリーナにも負けない男性アルト歌手を出演させるあたり、ハレ・ヘンデル音楽祭のディレクターは実に優秀だ。


 6月2日はパーセルの夕べ(演奏会形式、ウルリヒ教会コンサートホール)。ヘンデルパスティッチョ・オペラ《ディドーネ》の上演があるので、演目上の比較対象として《ダイドとイーニアス》が披露された。当音楽祭常連のラファエッラ・ミラネシ(写真右)がダイドを歌ったが、この日とても感心したのはカナダのソプラノ、ステファニー・トゥルー(ベリンダ役、写真左)。英語歌唱のスペシャリストで、パーセルの「言葉と音楽の結びつきの濃厚さ」を充分に堪能させてくれた。
 ボニッゾーニ率いるラ・リソナンザはイタリアの団体ながら、英国風の音さばき。清澄な協和音の一方で、ときおり現れるパーセルの強烈な不協和音をきちっとぶつける。英語自体の音楽性に真正面から向き合う時間となった。


 打って変わって6月4日は、ヘンデルの英語オラトリオを聴く(ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル・ホール)。バビロンの崩壊を描く物語《ベルシャザール》は、旧約聖書の「ダニエル書」に基づく。ペルシャの王子サイラス役(ヴァレル・サバドゥス)などに拍手が大きかったが、この日、見事だったのはベルシャザール役のテナー、トーマス・ウォーカーと合唱のRIAS室内合唱団だ。
 第1幕第4場、ウォーカーの登場で場の空気が一変した。バビロン王の威厳と横暴、そして瀆神への不安を表現していく。アリアの素晴らしさはもちろん朗唱の言葉運びも、ひとことも聴き漏らせない求心力。パドモアやギルクリストに続く、英国テナーの系譜をまざまざと見せつけた。
 RIASの合唱のすばらしさは、テナーをうまく使う点にある。たとえば緊張から緩和に移るとき、緩むところでテナーを厚めに響かせる。内声によって全体がレジスターチェンジする様子は、緊張が内面から解かれていくのと軌をひとつにしている。このテナーの出し入れを、レジスターチェンジだけでなく、響きの立体感を出すのにも利用。それをさらにパートの絡み合いの交通整理に使うところが肝だ。


 6月7日の演奏会「ヘンデルiPod」は、ヘンデルゆかりの地らしいプログラム(ハレ大聖堂)。作曲家が青年期に聴いていたであろう音楽を、同じく青年期に作曲家が奉職した教会の御堂で聴く。カペラ・デ・ラ・トッレがさまざまな古楽器を駆使して、16世紀から17世紀の作品を紹介した。そこに「ヘンデルiPod」と名前をつけたことで、生まれ故郷・青年ヘンデル・ゆかりの教会・愛聴曲といった連環が生まれる。ハレでなければできないプログラムに、音楽祭参加者の顔もほころんだ。

 来年年の音楽祭は5月26日から6月11日まで。ヴィヴィカ・ジュノーやアン・ハレンベルクの出演が決まっている。(http://www.haendelhaus.de


初出:音楽現代2016年9月号




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