“ブレ” の温泉卵添え ― 河村尚子, ラドミル・エリシュカ & 読響



 東京芸術劇場の「世界のマエストロシリーズ」に、チェコの指揮者ラドミル・エリシュカが登場。読売日本交響楽団とともに「お国もの」などを演奏し、喝采を浴びた。
 スメタナの序曲《売られた花嫁》でも、ドヴォルザーク交響曲新世界より》でも、緊張感の高めた方に、この指揮者の特色が色濃くにじんだ。
 色合いを変化させながら緊張を高め、やがてそれを緩和させる。これが機能和声の音楽の肝。ぎちぎちと締め付けるように緊張を高めていき、主和音の開放感を存分に醸す指揮者もいる。これはこれで実に音楽的だが、エリシュカは少し様子が違う。この指揮者の属和音はとても優しい緊張感に満ちている。ぶつかる音がきちんとぶつかり、その周囲を他の音がふわり取り囲む。
 締めつけ型の指揮者は、直線的に温度を高め、固ゆで卵になったところで、ぱかっと殻を割ってつるりと中身を取り出すように、緊張と緩和を描く。文字通りのハードボイルド。いっぽうのエリシュカは、煮立たないように気をつけながらじょじょに温度を高め、温泉卵の状態になったところで殻を割り、ふわりと器に盛るようにする。白身はゆるゆるとしているが、黄身はそれなりに形を得る。
 これはなかなか稀有なことで、この指揮者の水際立ったところと言ってよい。ただ実際、「温泉卵」型の運びは曲を選ぶ。この日の《売られた花嫁》や《新世界より》で真価が発揮されたかというと、少し疑問。(和声進行の点で)流れを良くするところもあれば、力感不足に陥るところもあった。
 しかし、プログラムの真ん中に置かれたモーツァルトの《ピアノ協奏曲第21番 ハ長調》KV467 では、独奏者・河村尚子の演奏とも相まって、こうした運びが実に効果的に響いた。
 河村の弾くピアノからは、音域によってチェロ、ファゴットクラリネットの音色が聴こえてくる。だからピアノだけで複数の登場人物を描き、彼らに対話させることができる。そうすると、エピソード部(独奏部分)でも「物語の進行」がきちんとある協奏曲になる。
 オーケストラとの掛け合いもまた一味違う。たとえば管楽器が楽想を受け渡していく様子を、ピアノが受け継ぐような場面。ピアノは音形だけでなく、各管楽器の音色も併せてトレースするから、オーケストラとの呼応はより重層的なものとなる。
 同じ音形でも音色が違えば、オーケストラとピアノは違うニュアンスで話していることになるし、違う音形でも音色が一致すれば、言い方を変えて同じ内容を繰り返しているとも言える。ピアノが音色差に気をつけるだけで、協奏曲の世界は信じられないほどの広がりを得る。
 こうしたチャーミングな対話に、エリシュカは例の「温泉卵」を添えていくのだ。対話がほのぼのしているときはその雰囲気を保ち、角が立ちそうなときはまあまあと諭す。「優しい緊張感」は懐の深さにつながっている。
 舞曲ブレ風の終楽章では、跳ねては着地するような運動性を、河村のピアノが表現する。弦楽器の上下弓の力動性が、鍵盤から鳴り響いている。また、ときにはポルタメントさえ聴こえてくる。こうした過剰なほどの運動性を、エリシュカの温泉卵式オーケストラが受け止めて、優しい緊張感で応えていく。”ブレ”の温泉卵添え。こうも滋味深いKV467も珍しい。
 第1楽章のカデンツァで、即座に短調に移旋して《ト短調交響曲》KV550(!)に突入したのち、属調を経由してハ長調に戻ってきた河村の茶目っ気と、懐の深さでそれを受け止めるエリシュカ。当夜の白眉はこの対比にあったのではなかろうか。


2014年10月30日(木)▼東京芸術劇場コンサートホール▼「世界のマエストロシリーズ vol.2」▼河村尚子(ピアノ), ラドミル・エリシュカ(指揮), 読売日本交響楽団管弦楽)▼スメタナ 序曲《売られた花嫁》, モーツァルト《ピアノ協奏曲第21番 ハ長調》, ドヴォルザーク 交響曲新世界より


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