ライプツィヒ・バッハ音楽祭2014(4)



【キス、キス、キス!】

 ライプツィヒ・バッハ音楽祭の千秋楽は《ロ短調ミサ》と相場が決まっている。さすがにこの公演は毎年、札止め。つまり最終日はバッハ目当てのお客さまが多数、市内をウロウロしているということ。だから、そんなお客さまを取り込むべく、18時開演の《ロ短調》に先だって、15時から旧市庁舎で力の入った室内楽演奏会が催される。
 今年、この枠に登場したのはソプラノのドロテー・ミールツと鍵盤奏者のクリスティーネ・ショルンスハイム。「キスをめぐって」と題して、今年のテーマ作曲家、カール・フィリップエマヌエル・バッハの歌曲を取り上げた(2014年6月22日)。
 ひとり芝居のようにキャラクターを千変万化させるミールツ、そんな名俳優に舞台装置や小道具を次々と用意していくショルンスハイム。この日、そんなふたりの芸達者に負けない実力を発揮したのが、18世紀末のオリジナル・フォルテピアノだった。この楽器は1790年にシュマールの工房で作られたフリューゲル型(グランドピアノ型)。修復を担当した楽器製作家は「エマヌエルが亡くなったのが1788年で、楽器が生まれたのが1790年。本当の意味で”オーセンティック”とは言えないが、時代様式は共有しているし、優れた楽器なので本日の公演に適していると思う」と「言い訳」。でも、これが本当に素晴らしい楽器だった。
 音域によって音色が明確に違うのは、古典鍵盤楽器に共通した特色。この楽器の優れた点は、それぞれの音色が実に魅力的なところだ。とくに中高音の音はミールツの声質とよく似ているので、歌い手にフォルテピアノが寄り添うと、姉妹で二重唱をしているかのような趣になる。弦の音が消えてなくなるのも、モダンピアノに比べるとずっと速い。だから「senza sordino」、つまりダンパーをあげっぱなしにしても音同士が混ざり過ぎず、程よい「モワモワ感」を醸す。それが、ここぞという場面で効果的に使われるのだ。

 こういう優れた「うつわ=instrument」を活かすも殺すも奏者の腕次第。ベテラン、ショルンスハイムの楽譜を見通す目、楽器と奏法の知識、それらを音楽として鳴らし切る技術が注ぎ込まれた結果、あの楽器は歌い手にも伍するほど豊かな「語り部」となった。
 それもこれも、ミールツの歌が魅力的だったからこその物種。「それぞれのキス」「ユダのキス(キリストを裏切るキス)」「毒杯のキス(ソクラテスの死)」「メルクとザクセンのヘレーネからのキス」などテーマを分けて歌曲を紹介していく。それぞれの雰囲気づくりといったマクロな視点から、心の中の対話のようなミクロな視点まで、きっちりと役を演じ分けるミールツ。コメディエンヌの才能を発揮する場面もしばしばだ。喜劇を演じられるのがよい俳優、の言葉は、歌い手にも同じく当てはめることができる。
 例年、達者な奏者が登場する最終日の午後3時。とはいえ、今年ほど楽しく、意義深く、音楽に溢れていて、さらに《ロ短調》への橋渡しとしてふさわしい公演はなかったなあ。よい気分で昼下がりを過ごし、旧市庁舎向かいのアパートに戻って身繕い。夕方の《ロ短調》に備える。
 千秋楽の首尾は「《ロ短調ミサ曲》私録 IX」に譲り、今年のライプツィヒ・バッハ音楽祭のレポートはこれにておしまい。9月にはケーテン・バッハ音楽祭に出張するので、そのときにまた、音楽祭レポートをお届けする次第。


写真:(上)クリスティーネ・ショルンスハイム〔左〕とドロテー・ミールツ, (下)シュマール工房造《フリューゲル型フォルテピアノ》1790年

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