ハレ・ヘンデル音楽祭2014(1)

 歌好きにぜひ足を運んでいただきたいのが、ハレ・ヘンデル音楽祭。昨年は中部ドイツを襲った洪水で街が水没、音楽祭は中止。現場のスタッフは復旧の様子から「出来る」と踏んでいたようだが、当局は「大事をとって」ということで、多くの公演が泣く泣くお蔵入りに。
 ただ、怪我の功名がふたつあって、ひとつは初冬にも小規模ながらヘンデルフェストシュピーレが催されるようになったこと。昨年、初夏の代替として設定された「冬の陣」。今年もこの「冬の陣」の開催が決定している。
 もうひとつは、本当のリベンジマッチにあたる今年の音楽祭に対して、スタッフがたいそう意気込んでいること。例年よりもハキハキ、笑顔で聴衆を迎える。スタッフが成長していた頃のライプツィヒ・バッハ音楽祭も、こんな感じだったなあ。
 話しを戻すと、この音楽祭はとにかく歌!そう思ってやって来て、期待を上回る演奏を聴かせてくれるのだから、質の点では下手な有名音楽祭を凌駕している。今年も序盤から愉しいコンサートが続く。


【ロベルタ】
 たとえば、6月7日(土)のヘンデル《ゴールのアマディージ》HWV11 。オペラを演奏会形式で。オッターヴィオダントーネがチェンバロを弾きながら指揮をした。管弦楽バーゼル室内オーケストラ。場所はゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル・ハレで、とても現代的な多目的ホールだ。
 とにかく、ロベルタ・インヴェルニッツィが素晴らしい。際立って。ただひとり、ヴィブラートの有無、付けるときの濃淡を、詩と音楽の情感にぴたりと寄り添わす。このあたりを音色変化に結びつけ、音色変化と強弱変化とを紐付ける。ダイナミクスの幅も大きく、その両極の間の階調も豊か。
 で、ふと気付く。他の歌手はフォルテとなるとたいそうな大声、ピアノとなると無闇なささやき声。インヴェルニッツィだけが叫ぶこともひそひそすることもない。でも、彼女がいっとう表現の幅が広く深い。音色変化と強弱変化とを結びつけて、ダイナミクスレジスター変換のように処理すると、こういうことが出来る。歌い手の鑑。


【もうひとりロベルタ】
 インヴェルニッツィに続くのはこの人だ、と思っているソプラノがいる。もうひとりの”ロベルタ”、ロベルタ・マメリだ。8日(日)の午前11時、カヴィーナ率いるラ・ヴェネシアーナを伴って、マメリとカウンターテナーのラファエル・ペがデュオのマチネ。ステッファニとヘンデルの二重唱曲を披露した。
 マメリの素晴らしいところは広い音域と、その音域ごとに異なる声色。そこにヴィブラートの有無と濃淡、子音のエッジを織り交ぜる。そうすると、デュエットの音楽的掛け合いはもちろんのこと、自らの葛藤を表すようなところでは、独り語りの内に一人二役の対話が表現される。こういうことが出来る若い歌い手が日曜の昼間、リラックスした時間帯にそう大きくない会場で音楽を聴かせてくれる。この音楽祭の日曜日マチネ於ハレ大学ライオン講堂のプログラムは、以前からハズレがない。


【そしてマリン】
 8日の午後はウルリヒ教会へ。この枠には昨年の埋め合わせとしてマグダレーナ・コジェナーが出演する予定だったが、さすがに1年を切ってのスケジュール調整はできなかった。少しがっかり。代役はマリン・ハルテリウス。この代役が、がっかり感を補ってあまりあって、もうおつりは結構です、といった見事な歌!アンドレア・マルコン指揮のラ・チェトラ・バロックオーケストラ・バーゼル管弦楽を担当、ヘンデルのオペラから数曲のアリアを聴かせてくれた。
 オーケストラにはマルコンの指示が染み通っている。とくにリュート(×2)をレジスター変換(音色の交代)に利用して、それをダイナミクスの表現に結びつけていくあたりは、道理の分かった音楽家のしわざ。
 これを受けてハルテリウスは、アリア間の情感(アフェクト)のコントラスト、それから1曲のアリアの両端と中間部との対比に合わせて声色を変える。どうも軟口蓋の上げ下げが柔軟に行える歌手ようだ。口の奥の空間を広げるときと、狭くして歌うときとで、音色ががらっと変化。見事なのは、がらっと変わるにも関わらず、どちらの音色のときも声がとてもクリアーだということ。口ごもるような感じや、喉をつぶしたようなだみ声もない(表現上必要なら出す)。ちょっとドジなところも聴衆に受けていた(出番は2曲目からなのに1曲目の、しかもチューニングの最中に出てちゃうとか、水のセッティングを忘れて取りに戻るとか、今度は出番なのに出てこないとか……)。歌の見事さとのギャップが魅力的。

 ふたりのロベルタ、そしてマリン。みんなこの音楽祭が教えてくれた名歌手たち。始まったばかりの音楽祭2014。まだまだ隠し玉がいるはずだ。


【追記】
 その他に6日(金)のヘンデルメサイア》於 市場・聖母教会、7日(土)の「ヘンデルが子供のころにハレで聴いた音楽」の演奏会 於 モーリッツ教会 にも足を運んだ。
 前者に関しては特段、触れるようなことがらなし。なお、立ち上がった(英国人と見られる)聴き手はふたり。
 後者は面白かった。ウィルソン&ムジカ・フィアタの演奏。いくつか収穫を挙げると、16フィートのドゥルツィアンの音が聴けたこと、歌でカントゥス・ケルンの個性派軍団に再会できたこと。



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