音盤比較 バッハ《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》

無伴奏作品の最高峰

 バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」は、当時のヴァイオリン技法の粋を集めて書かれた曲。バロック期、ひとりで何役もこなさなければならないこうした無伴奏作品が作られ始めた。ドイツ語圏ではH・ビーバーやJ・P・ヴェストホフらも同種の作品を書いていた。そのうち音楽的な内容の点で頂点を極めるのがバッハの「無伴奏」だ。「楽曲への共通理解」の層、「楽譜の読み方の妥当性」の層、そしてそれらを現実世界に鳴り響かせる「身体や楽器の合理性」の層が折り重なり、演奏者の両肩に乗る。
 そういった事柄がもっとも総合的に求められるのは「パルティータ第2番」の「シャコンヌ」だろう。だからこの曲集の「聴き比べ」をすると、どうしても「シャコンヌ」の聴き比べになるのは致し方のないところ。今回はこの「シャコンヌ」に加え、その手前の「ジグ」を取り上げていくつかの演奏を比較してみよう。「ジグ」の演奏を比べることで舞曲全般に対する目配りのほどを、「シャコンヌ」の演奏を比べることでひとりで何役もこなすヴァイオリニストの「名優ぶり」を浮き彫りにしたい。


「ジグ」に見る「活き活きとした舞曲」

 「ジグ(ジガ)」は複合3拍子の速い舞曲で、組曲の最後に置かれることが多い。「長短,長短」という基本リズムの元、転がるように進んでいくのが特徴。疾走感で全体を締めくくるのが身上だ。すぐれた作曲家や演奏家はこの「ジグ」の基本リズムから「長短短,長短短」「短長,短長」「短短長,短短長」「長―,長―」「短短短,短短短」といった応用リズムを導きだす。そうすることで舞曲の推進力を保ちながら、一面的になりがちなジグのリズムに活力を与える。このジグをきちんと理解し魅力的に演奏することができる奏者は、ほかの舞曲でも解釈を誤らないし、舞曲のリズムが各所に生きるソナタを演奏するときにもその地力が生きてくる。
 そんな観点から優れた演奏を聴かせてくれるのがイザベル・ファウスト。くっきりとした基本リズムの造形と、楽譜から読み起こす応用リズムの多彩さによって、一面的でなく繊細なのに、大胆で疾走感にあふれるジグを実現している。
 ギドン・クレーメルは個性的。ときに「基本リズム ― 応用リズム」から外れるところがあるけれど、そこでクレーメルの個性が「バッハ」や「バロック」の語法より前に出ていて、むしろ面白い。
 その正反対を行くのがルーシー・ヴァン・ダールだ。十八世紀の語法、バッハの楽譜、古楽器の合理性から、もっとも「ジグらしいジグ」を導いた。滅私奉公が逆説的に見事な個性として結実している。
 興味深いのはアルトゥール・グリュミオー古楽運動にコミットすることはなかったはずだが、そこから聴こえてくるのは意外にも、きちんと基本を踏まえた「ジグ」。20世紀前半に教育を受けた奏者にそれ以前の演奏習慣の残滓が見て取れる好例だ。
 舞曲のリズムの基本と応用などはこのさい度外視して、ひたすら美音に浸りたい向きにはヒラリー・ハーンがおすすめ。美しすぎるほどに美しい音の連なりには毎度、驚かされる。


シャコンヌ」には「名優」の手腕が光る

 一方、「シャコンヌ」は低音部の主題に基づいて変奏を重ねていく3拍子の舞曲。スペインに起源も持つ。「シャコンヌ」の元の意味は「ひどい」で、野性的な激しさのある舞曲だったという。当時はオルガンなどの鍵盤楽曲によく用いられた。バッハの場合は4小節の主題と34のさまざまな変奏とからなり、全体はニ短調ニ長調ニ短調の3つの部分に分けられる。
 ひとりでいくつもの役を同時にこなす手腕が求められるこの曲。主題を奏でる低声部と変奏を繰り広げる上声部、その間を埋める内声部それぞれの間の緊張感、変奏と変奏との対比、長調の部分と短調の部分とを描き分ける音楽上の工夫など、奏者に求められる事柄は山のようにある。そこに優先順位を付けて曲を彫琢していく点に「達者な腕」と「よき趣味」の見せ所がある。そういったことは、たとえば「ソナタ第2番」の「フーガ」にも必要とされることだ。
 さて、先ほどの5者で「シャコンヌ」を比較すると、それぞれの優先順位が異なっていることが分かり興味深い。ファウストは「シャコンヌ」本来の姿を表現しようと努める。「野性的な激しさのある舞曲」として響かせるために、弓の上下動の違いをうまく使って3拍子の拍節を強調。緊張と緩和の彫りを深くして、強めのコントラストに仕上げている。
 クレーメルは変奏と変奏との対比を第一に考えたようだ。ジグの時と同様に自らの想像力を駆使して、各変奏の表情に楽譜以上の変化を持たせるよう腐心している。やはり個性的。
 ファウストと方向性は同じながら、長調短調との描き分けに手腕が光るのがヴァン・ダール。オルガンでの演奏を彷彿とさせる音色変化で、長短調に変化を与える。短調から長調に入る時の増幅された開放感や、長調から短調に戻る際にふと差す影の濃さには、古楽器のもつ多彩な音色の妙を感じずにはいられない。
 グリュミオーは「シャコンヌ」でも楷書の演奏だが、その楷書性は緊張と緩和の表現、つまり和声にもっともよく現れる。場面場面の中心音を見極めてそこを手当てしていく様子に、高い職人性が見て取れる。
 美音と、その美音を滑らかに推移させることとを最優先にしているのがハーン。モダン楽器の均質性を突き詰めた演奏だ。


越えるべき峰、バッハの「無伴奏

 バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」が演奏者に要求することは多岐に渡る。少し過剰ではないかと思えるほど。だからこそ古今のヴァイオリニストが、この曲を「越えるべき峰」として見定めているのだろう。これからも多くのヴァイオリニストがこの曲に挑み、たくさんの名演奏が生まれてくるはず。「最高峰」とはこうした挑戦をつねに受け続けるものなのだ。


【CD】
イザベル・ファウストBWV1001-1003, BWV1004-1006, BWV1001-1006
ギドン・クレーメルBWV1002・1004・1006, BWV1001・1003・1005
ルーシー・ヴァン・ダールBWV1001-1003, BWV1004-1006
アルトゥール・グリュミオーBWV1001・1003・1005, BWV1002・1004・1006
ヒラリー・ハーンBWV1004-1006


初出:モーストリー・クラシック 2013年8月号

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