追悼 クラウディオ・アバド



 クラウディオ・アバドが亡くなった。私たちはこの悲しい知らせを受け取る前に、もうひとつ残念なニュースを耳にしていた。昨秋、東日本大震災の被災地復興を支援する音楽祭「アーク・ノヴァ松島2013」が催された。アバドは賛同者のひとりだったが、体調を崩し来日できなかった。多くのファンはそのことをとても残念がった。それと同時に、地震と火山の国でもあるイタリアに生まれたアバドが、日本の災厄に心を痛め、その思いを音楽祭として示してくれたことに感謝した。
 思えばアバドは、つねに若さや弱さ、傷や繊細さに心を寄せる音楽家だった。
 1933年にミラノに生まれたアバドは、名伯楽の父ミケランジェロのもとヴァイオリンを学ぶ。ミラノ音楽院、ウィーン音楽院を経て1960年、ミラノ・スカラ座にデビュー。各地のオペラハウスなどで活躍したのち、90年にはオーケストラの最高峰、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督に就任した。
 こんな華々しい経歴の一方で、ピアニストのマウリツィオ・ポリーニとともに労働者のための無料演奏会を主宰したりと、その眼差しはいつも弱者に向けられていた。
 大病とそこからの復帰を経験した2000年代には、大仰な表現を自らの音楽から遠ざけ、あわせて若い演奏家にそうした理想を伝える努力を加速させる。すでに活動が軌道に乗っていたマーラー室内管弦楽団はもちろん、とりわけ力を注いだのはモーツァルト管弦楽団だ。04年に発足した同団には、10代から20代を中心とした団員が在籍する。アバドは楽団創設以来、熱心に指導を重ね、若い演奏家に自らの目指す音楽を示した。
 その成果は楽団の名前の通り、モーツァルトの演奏に色濃く表れる。協奏曲で若い独奏者が即興性を発揮すれば、管弦楽は丁々発止それに応える。息せくような語り口と、呼吸の長さとが同居する場面もあり、バランス感覚に優れる。清々しく明るい響きと粘着度満点の翳りある音色とで、モーツァルトの情緒の振れ幅を表現する指揮者とオーケストラ。独奏楽器を強調し過ぎないアンサンブル、つまり協奏を重視した姿勢に、アバドの目指した音楽、そして社会が投影されている。庶民と貴族とが対等に張り合うオペラ「フィガロの結婚」を書いたモーツァルトアバドが晩年、目を注いだのも、彼には当然の成り行きだったのかもしれない。

初出:共同通信社配信(2014年1月)

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