鈴木秀美&オーケストラ・リベラ・クラシカ 第32回定期演奏会



 古典派音楽の演奏に重点を置くピリオド楽団、オーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)が2013年10月19日、鈴木秀美の指揮の下、32回目となる定期演奏会を行った。会場は上野学園石橋メモリアルホール。前半にはモーツァルトの《ヴァイオリン協奏曲第1番》(独奏・佐藤俊介)、ハイドンの《交響曲第67番》が並び、後半にはベートーヴェンの《交響曲第4番》が置かれた。
 この《交響曲第4番》は一筋縄ではいかない曲だ。というのもこの作品が、相反する2つの顔を持っているから。この二面性をどう考えるかによって、鳴り響きの姿が変わってくる。
 創作史に目を向けると、第4番の作曲時期は第5番と重なっていることが分かる。主題の相似といった外形はもちろん、ティンパニを重要なソロ楽器として扱うような楽器法にいたるまで、両者の共通点は多い。そのおかげでこの2曲は、交響曲雄大な気分を共有している。
 だが2曲の用途はかなり異なっている。大規模な公開演奏会のために作曲された第5番。一方、私設オーケストラを持つ貴族の依頼で書かれたのが第4番だ。フルート1本の編成はその楽団規模にあわせた措置。当時、フルート奏者が1人(他2管)の宮廷楽団の場合、弦楽器奏者は全員で平均10人強。ほとんど室内楽の規模だ。この規模でクラリネットなど管楽器がこれまでになく活躍する第4番を演奏したら、それは「管楽合奏曲」のように聴こえてもおかしくない。
 つまり第4番は、第5番同様「悠揚たる交響曲」であると同時に「親密な室内楽」の性格も併せ持つ。そこに「管楽合奏曲」を思わせるような管弦バランスや、古典派音楽の持つ「おしゃべりな楽想」といった要素が加わり、演奏の実態を形作っていく。
 20世紀の演奏には、この後者の視点がすっぽり抜け落ちたものがあった。シューマンは第4番を「2人の巨人に挟まれた可憐な乙女」と表現した。クレンペラーがフィルハーモニア管と残した1970年の演奏などは、「乙女」をひたすら大きな「巨人」に仕立て上げようとするきらいがある。
 近年では表層的な歴史主義が先に立ち、前者の視点をないがしろにする演奏も現れた。パーヴォ・ヤルヴィが2009年にドイツ室内管弦楽団と演奏した第4番は、管弦バランスの点で管楽合奏を思わせる。しかし指揮者が「おしゃべりな楽想」(18世紀の語法に基づくアーティキュレーション)を欠いたまま室内楽的な機動性ばかりを追い求めるので、「悠揚たる交響曲」性は薄い。
 OLCの演奏はその辺りのバランスに優れる。管弦それぞれの魅力を滲ませつつ、両者が融合した第三の音色を随所に響かせる。音域による音色の違いや気の利いた分節によって、声部間の対話だけでなく単旋律に潜む多声性をも炙り出す。こうした室内楽的な親密さの一方で「悠揚たる」楽想にも目を配る。第1楽章展開部の入口、同じ音型を繰り返しながら音量を絞っていくが、音量とは裏腹に和声的な緊張感はきちんと高めていくので、息の長い盛り上がりが実現する。
 そこにはもはや古楽だのモダンだのといった違いはなく、佳い演奏とそうでない演奏という差異があるだけだ。21世紀のベートーヴェン演奏とはこういうものである。


初出:モーストリー・クラシック 2014年1月号

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