寓話「般若心経」



「ありゃあ『生臭坊主の朝のお勤め』だなあ」
「あれ?オオヤさん、ご法事?音楽会に行ったんじゃなかったのですかい?」
「はっつぁん、なんであたしの行き先を知ってるのさ?いま流行のストーカーかい?まあ店子に追いかけられるほど慕われるオオヤってのも悪くないけれども」
「自分がチケットをちら見せしながら出掛けていったんじゃないですか」
「え、そうかい?まぁ、いいや。はっつぁんのいう通り音楽会だったのさ」
「でもオオヤさん、朝のお勤めって」
「いや、なにね、演奏がまるで『生臭坊主の朝のお勤め』みたいだったってこと」
「なんですそれは?酒でも飲んで舞台に乗っかってるんですかい?」
「あんたんとこの坊さんは酒飲んでから法事にくるのかね?そうじゃないよ」
「じゃあ、どうなんです?」
「つまり演奏が『教えの意味も言葉の切れ目も分からずに唱えられる般若心経』みたいだったってこと。ただ生臭とは言え場数を踏んでるから、声だけは上等なのさ」
「それじゃあ衆生も救われねえや」
「ところがさ、声さえよけりゃあ般若心経の中身なんざどうでもよいのが滅法たくさんいるんだよ」
「そんなもんですか」
「そんなもんだよ」
「色即是空、空即是色」
「なんだい、はっつぁん、薮から棒に。そんなに信心深いとは知らなんだよ」
「いやあ、意味はわかないんですけどね」
「なんだい、あんたも同じ穴の狢か。それにしても高僧並みのよい声だねえ」
「おかげで今度 "第九を歌おう" ってのに誘われましたよ。風呂い出ー♪」
「どうせ意味なんか分かりゃしないんだろう……」


*寓話のインスピレーションをくれたジャン・ギアン・ケラス(チェロ)氏に感謝をささげます。