「記念年を言祝ぐ」― トマゾ・アントニオ・ヴィタリ

 「現代古楽の基礎知識」を名乗っているので、お叱りを受けぬよう古楽系の記事もきちんと投稿。今年、記念年を迎えた3人の音楽家コレッリ、ヴィタリ、ダウランド」を、6回に分けて紹介していきます。もちろん年内には終える予定(笑)今回はその第4回。生誕350周年を迎えたヴィタリのお話です。どうぞお付き合いくださいませ。

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  さて、イタリア・バロック最大の音楽家と言っても過言ではないコレッリにも、もちろん見習うべき先輩がいた。ジョバンニ・バティスタ・ヴィタリ(1632―1692)、その人だ。ただ、ここで話題にしたいのはトマゾ・アントニオ・ヴィタリ(1663―1745)、ジョバンニ・バティスタの長男である。トマゾ・アントニオは、父親の音楽家としての活躍に寄り添いながら自らのキャリアを積んでいった。だから、さしあたり父ジョバンニ・バティスタを簡単に紹介するところからこの項目を始めるのも悪くないだろう。
 イタリア・ボローニャで生まれたジョバンニ・バティスタ・ヴィタリは1658年、同地の聖ペトロニオ大聖堂に歌手兼チェロ奏者として雇われた。1674年には、ボローニャにほど近いモデナの宮廷副楽長に就任。1684年にいったん楽長に昇進するも、1686年に更迭され、以後、死ぬまで副楽長を務めた。
 作曲家としてのジョバンニ・バティスタは、とりわけトリオソナタの確立に大きく貢献した。(教会ソナタであっても)全楽章に舞曲のリズムを適用し、二部分形式を守る。一方で、上2声が絡み合うポリフォニックな楽想をさまざまな楽章に導入した。楽章を対位法的に処理しても舞曲の性格が損なわれない点に、ジョバンニ・バティスタの手腕が見て取れる。こうしたトリオソナタの書法は、後輩コレッリにも受け継がれた。
 長男トマゾ・アントニオ・ヴィタリは1663年にボローニャで生まれ、1674年、父に伴ってモデナに移る。翌年には宮廷楽団で音楽家としてのキャリアをスタートさせた。その後コンサートマスターに就任し、1742年までその地位にあった。演奏の手ほどきをしたのはもちろん、父親のジョバンニ・バティスタだが、作曲法はモデナの高名な音楽家バッキオーニが教えた。トマゾ・アントニオの作風は、父ジョバンニ・バティスタコレッリとに近い。二部分形式を一貫して採用。速度記号で曲の性格が示される教会ソナタの楽章と、舞曲の名前で曲の性格を規定する室内ソナタの楽章とを、1曲のソナタの中に混ぜて使う。通奏低音の書き方は、全ヨーロッパを席巻したコレッリの作品5によく似ている。
 トマゾ・アントニオの名前を現代に伝えるのは、名曲《シャコンヌ ト短調》だ。しかし結論から言うとこの作品は、トマゾ・アントニオが作曲したものではない可能性が高い。残された他の作品との様式比較からも、その学説は支持されている。この機会にトマゾ・アントニオの真筆に耳を傾けてみるのも一興。コッツォリーノ率いるゼンパーコンソートが、《12のトリオソナタ》作品1(1693年)を録音している。たとえば、偽作《シャコンヌ ト短調》と同じ調の第12番。上2声が音型を細かく手渡してポリフォニックに展開していくあたりには、《シャコンヌ》に劣らぬ情緒の綾が表現されていて好もしい。

*次回は「ダウランド(1)」をお送りします