カッセル・ドクメンタ/dOCUMENTA (13)



 2012年の6月、取材の合間を縫ってカッセルへ遠征。5年に一度のアートの祭典「ドクメンタ」に足を運ぶ。2007年に続いて2度目の訪問。前回に比べ展示総面積が減っていて、内容的には直接的な政治メッセージが目立つ(テーマが「イスラム世界」だからか)。端的につまらない(専門外だから気楽)。アートが政治性を孕むのは当然。でもそれなら、力ある政治家の言葉や、実際の問題解決にあたる政策に劣らないメッセージ性が必要だと思うのだけど、並ぶのは単なる告発と反省。ドキュメント映画を観た方が話しが早い。そんな空虚なアートの「腐海」にもなかなか優れたものはいくつかあって、感心もする。

 印象に残るのは、Ida Applebroogのインスタレーション《I SEE BY YOUR FINGERNAILS THAT YOU ARE MY BROTHER》。壁に掛けられたイラスト然とした絵画。床には箱やラックが置かれ、そこには4つに折った「ポスター風の印刷物」が収められている。壁の「イラスト」を「ポスター」に仕立てたものだ。来場者は壁の絵画からお気に入りを見つけ、そのポスターを探したり、壁には目もくれずポスターの全種類制覇を目指したり。また、ポスターを開いては閉じを繰り返す中で、壁の絵画とポスターとの関連に気が付いたりと、まちまちにその場/絵画/手もとの印刷物との関係を築いていく。関係の結び方の類型を顕在化させてるんだ。感心した。これがこの日のいちばん。


 とりわけ自己言及的だったのは、Michael Rakowitzの《What Dust Will Rise?》。端的に「書物の化石」。とても長い時間が流れた。書物は化石になった。もう中身は読めない。ただ外身の意匠は愛でることが出来る。コンテンツ制作者にけんか売ってるようだ(笑)。Rakowitzよ、おまえのこの作品を記録したカタログも化石となって、もはやお前の名を思い出すものもいなくなるのだ。


 Kader Attiaの《The Repair》も優れたもののひとつ。「修復」が持つイメージ、それはあるものの過去と現在をつなぎ、それを未来へと手渡ししていく積極的/建設的なもの。でも本当にそうか?ということをえぐり出す仕事がこれ。もし修復の対象が奇形の人面だったら。「修復」の持つイメージにほんの少し翳りが生じる。そして「未来を志向するアクティヴィティー」の隠し持つ残虐性が白日の下に。

 ほかにも膨大な作品が、ある場所には集められ、ある場所には散在する。僕にはこの日1日しか時間がなかったのでその多くは体験できず。でも、お土産はちゃんと入手(抜かりない)。次回、2017年はすごいぞう!カッセル・ドクメンタに加え、10年に1度のミュンスター彫刻プロジェクト、そしてドイツ国内は宗教改革500年祭にわく。ヴェネツィアビエンナーレを含め、欧州アートツアーにもってこいの年だ。お好きな方は今から予定を空けておきたいところ。