【昇天祭記念】《ロ短調ミサ曲》で礼拝をしたら



 東洋美術にせよ西洋美術にせよ、美術館の展示ケースに並ぶ多くの品を眺めていると、「元はどんな場所に置かれていて、どんな役割を果たしていたのだろうか」と思わされる。そういったことを抜きにして「もの自体に迫る」というのが、博物館/美術館に負わされた役割(幻想)のひとつ。だから「元の場所」や「元の役割」を考えてしまっては文字通り「元の木阿弥」なのだけれど、そうしたくなってしまうのは、そんな本来の文脈で発揮されていた力や輝きを体験してみたいからに他ならない。
 音楽でも同様で、とりわけバロック期以前 – 音楽が社会の中に確固とした位置を占め、生き生きと活躍していた時代 – の楽曲となると、その思いも余計に強くなる。バッハの《ミサ曲ロ短調》はそんなバロック期の最後の華であり、西洋音楽史上最大の音楽作品と言っても過言ではない。
 実のところこの《ミサ曲ロ短調》には少し特殊な事情がある。バッハが生きている間には全曲の初演が行われなかった。そもそも何のために作曲されたか定かではない。だから「元はどんな場所で演奏され、どんな役割を果たしていたのだろうか」という点に決定的な答えはない。ここではそれを逆手に取り、《ミサ曲ロ短調》を「仮想の18世紀文脈」に流し込んだら、どんな姿が現われるか試してみたい。


ミサ曲

 当然のことながら《ミサ曲ロ短調》はミサのための音楽である。キリスト教カトリック典礼には聖務日課とミサがある。聖務日課は日々の祈りの定式。一方、ミサはイエスの最後の晩餐を再現したもので、キリストの「体と血」を象徴する「パンと葡萄酒」を分け合う儀式だ。その式次第は大きく2つのユニットからなり、前半を「言葉の祭儀」、後半を「感謝の祭儀」と呼ぶ。
 ミサの式文はその性質にしたがって2種類に分けられる。その日ごとに決められた式文である「固有文」と、原則的にはすべてのミサに共通の「通常文」だ。この通常文の内、キュリエ/グローリア/クレド/ザンクトゥス(ベネディクトゥスを含む)/アグヌス・デイの5章に付けられた音楽をミサ曲と呼ぶ。大規模なミサ曲は重要度の高いミサには欠かせない。歌詞が同じだから、14世紀以来「作曲家の腕比べ」の舞台としても機能していた(したがって、バッハが《ロ短調》を作曲したのは自分の作曲の腕を歴史に問うためだった、とも言える)。


18世紀のルター派典礼

 1517年に始まる宗教改革によって、バッハが生涯を送ったドイツのテューリンゲン地方やザクセン地方はルター派の牙城となった。カトリックの教義の多くに改革をもたらしたルター派だが、その礼拝は意外にもカトリックのスタイルを色濃く残している。ルター自身も、初期教会から変化しつつも綿々と受け継がれて来た「儀式」を打ち捨てるつもりはなく、その姿勢はルター派教会の中でも共有された。
 そのひとつの現れが「典礼儀式書」だ。これはルター派典礼の式次第を定めた書物で、おおよそ領邦ごとに定められた。バッハが晩年を過ごしたザクセン地方では当時、『ザクセン選帝侯典礼儀式書』(1691年ライプツィヒ版)が主に用いられた。そこで、この儀式書に基づいて、《ミサ曲ロ短調》を用いたルター派の礼拝を再現してみよう。礼拝全体の雰囲気と、その中でのミサ曲の働きとを感じていただければ幸いだ。


174X年5月某日 キリスト昇天祭の礼拝

 ここではキリスト昇天祭(2012年は5月17日)を想定して礼拝を再現する。場所はザクセン地方のある都市の教会。優秀な聖歌隊と立派なオルガンとを備えている。復活祭から40日目の木曜日に当たるこの日はすでに初夏の陽気。塔の鐘が鳴り響き、礼拝の始まりを街中に告げる。


【言葉の祭儀】

〔オルガン前奏〕バッハ《プレルディウム ハ長調》BWV547
聖歌隊による賛歌〕《キリストの昇天》(『賛歌傑作選集』ニュルンベルク, 1747年)
〔オルガン〕バッハ《キュリエ, とこしえの父なる神よ》BWV672

聖歌隊管弦楽〕バッハ《キュリエ》(《ミサ曲ロ短調》BWV232より) キリエは神への呼びかけ。「憐れみたまえ」と訳されるが、実際は礼拝の始めにあたり神への呼びかけを行っている。

〔カントルによる先唱〕《グロリア・イン・エクツェルシス・デオ》(グレゴリオ聖歌)
聖歌隊管弦楽〕バッハ《グロリア》(《ミサ曲ロ短調》BWV232より) ルカ2:14を冒頭に据えた「栄光の賛歌」。父なる神と子なるキリストへの讃美を歌い上げる華々しい曲。

〔集禱〕「我ら祈るべし Oremus」…「然り Amen」
使徒書朗読〕使徒行伝 第1章 第1〜11節
〔会衆によるコラール〕ルター《いまぞともに喜べ, 愛しきキリストの徒よ》(1523年)
福音書朗読〕マルコによる福音書 第16章 第14〜20節

〔カントルによる先唱〕《クレド・イン・ウヌム・デウム》(グレゴリオ聖歌)
聖歌隊管弦楽〕バッハ《クレド》(《ミサ曲ロ短調》BWV232より) ニカエア信条。聖書の言葉を受けて一同がその信仰を告白する。父・子・聖霊、教会、洗礼、甦りに言及。

〔会衆によるコラール〕ルター《我らひとつなる神を信ず》(1524年)
〔一同〕「主の祈り
〔牧師による説教〕使徒行伝 第1章 第1〜11節より
〔会衆によるコラール〕ルター《ただキリストの昇天にのみ》(1529年)


【感謝の祭儀】

〔叙唱〕司祭が「心を高く挙げて Sursum corda」と朗唱し、聖歌隊が「つねに汝を讃えて言わん… sine fine dicentes: 」と昂揚して閉じる。
聖歌隊管弦楽〕バッハ《ザンクトゥス》(《ミサ曲ロ短調》BWV232より)、《ベネディクトゥス》(《ミサ曲ロ短調》BWV232より) 「汝を讃えて言わん」の言葉を受け、天使の合唱として歌われる「感謝の賛歌」。通常文中、最古とされている。

〔聖体設定の言葉〕ここで「パンと葡萄酒」がキリストの「体と血」に変容する。
〔配餐〕洗礼を受けた信徒が聖餐を受けるため進み出る。

聖歌隊管弦楽〕バッハ《アグヌス・デイ》(《ミサ曲ロ短調》BWV232より) 「神の子羊」の意。配餐中に歌われる。「子羊」はキリストの体=裂かれるパンを表している。

〔聖体拝領の言葉と祈り
〔祝福〕
聖歌隊による賛歌〕《キリストの昇天》(『賛歌傑作選集』ニュルンベルク, 1747年)
〔オルガン〕バッハ《フーガ ハ長調》BWV547
             

写真:ドレスデン・聖母教会(2005年10月30日の献堂式)