「現代音楽の展開:1951 - 2011」-- 一柳慧
現在、神奈川県立近代美術館葉山館では「現代音楽の展開:1951−2011」(全5回)が開講されています。「第一線で活躍する音楽家たちを招き、それぞれの体験を踏まえつつ、現代音楽の可能性について語りつないでいく試み」とのこと。
8月20日の第2回目は、作曲家・一柳慧さん(1933 -, 兵庫県神戸市)が1960年以降の自らの創作を振り返りお話くださいました。以下は、一柳さんがお話しになった事柄のメモ。1960年代の音楽の革新性と、日本の思想がそれらの音楽に与えた影響とを強調しておられました。
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【前 史】1954年 渡米、ニューヨークへ。日米の落差に驚く。
■「現代音楽のルネサンス」1960年代。180°価値観が変わった
西洋音楽史のラインの上にもはや乗らない音楽が表れたのが60年代
→その他の分野も含めて「アメリカ芸術の黄金時代」
■「日本の思想・禅」60年代アメリカのアートに影響を与えた。
【1962年】鈴木大拙(当時92歳)と鎌倉東慶寺で会う。
来日中のジョン・ケージ、デイヴィッド・テュードアを伴って。
ケージが「無」の問題を鈴木大拙に問う。
(ケージはコロンビア大学で鈴木から教えを受けていた)
*アメリカの知識階級には当時「禅」を実生活の指針とするものが多かった。
*ヨーロッパでは、ケージの音楽は好意的に受容された。
(作曲語法の問題として理解され、音楽思想の革新性については無感心)
【1960年前後〜】「西洋と東洋の対比」から音楽の二項対立を考える。
■「音の自立」作曲家からの音の独立=音楽の無形式化・無時間化を促進
→個人主義化した市民社会のありようを反映
■「楽譜の問題」1959年《ピアノ音楽第2》音域/奏法/進行以外は任意の図形楽譜。
→演奏者の自由/音楽の可塑性を拡大
1960年《電気メトロノームのための音楽》メトロノームを主役に据えて。
→空間性の問題に着手
1969年《G線上の悲劇》音楽先行。そこに久里洋二が映像をつける。
*一柳の音楽を久里が独自の方法(=アニメーション)で「採譜」したと言える。
→図形楽譜の延長
■「反機械文明」1976年《タイム・シークエンス》
→超絶技巧を人間の手で
■「個性批判」1988年《交響曲「ベルリン連詩」》
*オリジナリティーの問題に連歌・連句の方法論で切り込む
→「素材の展開」でなく「本歌と末歌」=動的変容
■「伝統音楽の解体」2001年《心の視界II》
→正倉院復元楽器。雅楽の奏法を逸脱。