一流の証 -- イザベレ・ファウストと新日本フィル


新日本フィルハーモニー交響楽団 第481回定期演奏会
2011年7月28日 東京・サントリーホール
クリスティアン・アルミンク(指揮)/イザベレ・ファウスト(ヴァイオリン)



 アルミンク率いる新日本フィルが7月28日、サントリーホールで今期の最終公演を行いました。オーケストラのシーズンの千秋楽はなかなか厄介なものです。存分に話題を振りまいた1年であっても最後の1回が不出来だと、シーズン全体が低空飛行だったように感じてしまいますから。
 そんな大切な最終公演に独奏者として招かれたのがイザベレ・ファウストです。いまや世界の音楽家と聴衆から最も信頼されるヴァイオリニストのひとりとなった彼女。この日も期待に違わぬ演奏で、新日本フィルが有終の美を飾るのに大きく貢献しました。
 プログラムは、ウォルトンヒンデミットの主題による変奏曲》、ブリテン《ヴァイオリン協奏曲》、ヒンデミットヴェーバーの主題による交響的変容》の3曲で、「主題と変奏」という特徴を共有しています。
 いずれの曲でも指揮者アルミンクは、絶叫するような高音や戦車の走行音のような低音を遠ざけ、中音域を厚く配することで管弦楽の音響の立体感を実現しました。そんな指揮の手際がとりわけ光ったのが《ヴェーバーの主題による交響的変容》の第2曲です。劇付随音楽《トゥーランドット》の行進曲から旋律を借りたこの楽章は、各楽器が入れ替わり立ち替わり奏する主題を、それぞれ違ったオーケストレーションで聴かせるというもの。ラヴェルの《ボレロ》に似たアイデアの1曲です。各声部がよく分離したこの日のオーケストラは、ヒンデミット管弦楽法の工夫を、作為的な強調によらずに聴衆の耳へ届けました。
 こうしたオーケストラの健闘も特筆ものですが、この日の白眉はなんと言ってもイザベレ・ファウストです。徹頭徹尾、楽器の教える合理性に従順な演奏は、本来音楽が持っているフレージングの身体性、すなわち弦の張力、弓の重さ、腕の長さや筋力といったものが織りなす音楽の綾をしかと感じさせます。だから、しばしば現れる特殊奏法、たとえばフラジオレットや左手のピッツィカートも、ヴァイオリンの当然の可能性を示すものとして、また、楽曲のその部分に不可欠なものとして聴こえてきます。
 音色に対する彼女の感受性も一頭地を抜いています。《ヴァイオリン協奏曲》の第3楽章は、全音半音全音半音……と上行し、半音全音全音半音全音全音……と下行する主題のパッサカリアです。この主題上でヴァイオリンが移り気に変奏を展開します。ファウストは、半音階気味で不安な響きの上行主題上ではヴァイオリン特有の湿った音色を、全音階気味で明解ながらどこか諧謔的な下行主題上では管楽器を模したような音色を配して、さまようようなヴァイオリン声部と厳格なパッサカリア主題とを見事に繋いでみせました。
 演奏後、拍手が始まるまで、長い長い沈黙が会場を覆います。聴衆、オーケストラ、ファウストが一致して音楽を作った瞬間です。千数百人を「音楽作り」に巻き込むヴァイオリン。これこそ一流の証です。


写真:イザベレ・ファウスト, アレクザンダー・メルニコフ, ベルリン古楽アカデミーが、メンデルスゾーンの《ヴァイオリン, クラヴィーアと管弦楽のための協奏曲》でこの上なくすばらしい演奏を聴かせた(2010年9月10日, ライプツィヒ・ゲヴァントハウス大ホール)。