ライプツィヒ、正しい祝日の過ごし方 -- ちょっとした建築めぐり



 2011年6月2日は「キリスト昇天祭」。ドイツでは祝日に付き全国的にお休みです。 キリストは十字架上の死から3日目(すなわち2日後)に復活し、それから40日目(すなわち39日後)に天に上げられたと言われています。それを祝うのがこの昇天祭です。復活祭は移動祝日なので、昇天祭も当然、移動祝日。復活祭は「春分の直後の満月の直後の日曜日」(ややこしい)なので、昇天祭は「春分の直後の満月の直後の日曜日から39日後の木曜日」(さらにややこしい)です。
 それで、真っ当な耶蘇は礼拝に参加し、この日(も)いちにち耶蘇さんを思いつつ過ごすわけですが、活動的な耶蘇と、耶蘇でないドイツ人は、アクティヴィティーに励むわけです。代表的なのはサイクリング。というわけで、活動的なほうで不真面目なほうの耶蘇である当方は、サイクリングに出かけることにいたしました。

 目的地は「諸国民戦争記念塔 Völkerschlachtdenkmal」(衛星写真の左上角がゲヴァントハウス、右下角が記念塔です)。1813年10月18日、ナポレオンのフランス軍と、プロイセンを始めとする連合軍がここライプツィヒで剣を交え、連合軍が勝利しました。それを記念して戦勝百年祭の1913年に建てられた巨大な塔が「諸国民戦争記念塔」です。旧市街から約4km南東に位置する観光スポットで、自転車でのちょっとひと走りに最適な距離。

 周囲は記念塔以外何もないところと思っていましたが、いやいやなかなか愉快な代物が立ち並んでいました。ほとんど真っ直ぐの「10月18日」通りを南東に進み、前方に記念塔が見えて来たところで突如、紅く輝く星を冠した金色の塔が目に入るではないですか!何だこれは?気になりますが、詳細は帰りに確認することにして、まずは目的地を目指します。
 着きました、記念塔。高さ91m。なかなか巨大です。修復が進み、装飾の彫像などもきれいに整えられた様子。所期の目的達成です。それで気になる紅い星の金色塔を目指し、来た道を1kmほど戻ります。
 見るとここは旧メッセの跡地。ライプツィヒは中世来、見本市の街として栄えました。それは20世紀になっても変わらず、ここに1921年から1990年まで見本市会場メッセが置かれていました。現在は旧市街北西、ライプツィヒ/ハレ空港の近くに移転しています。この旧メッセ跡地、再開発がなんとなく始まっているのですが、そこはドイツの土建仕事。遅々として進みません。したがってほぼ廃墟です、100ヘクタールの。

 紅星金色塔はもう、見たからに共産主義建築です。名前はなんと「ソヴィエト館 Sowjetischer Pavillon」(1950年)。それで、他に目立つ廃屋はないかと探してみると、ありました。今度は神殿風。16号館「コンクリートホール Betonhalle」(1913年)とあります。なるほど、建物の名前にしてしまうほど、コンクリートは当時、最先端技術の結晶だったのですね。なかなか進まないとは言え再開発指定地域。廃墟趣味の方は今のうちにおいでになっておくのが良いと思います。

 さて「新素材」と「共産主義」、20世紀の2つの「最先端」を通り過ぎると今度は、「19世紀の残滓」が現れます。「ドイツ国立図書館ライプツィヒ館 Deutsche Nationalbibliothek in Leipzig」(1913年)です。第一次大戦直前ですから最後期の歴史主義建築。コンクリートホールと同じ1913年ですが、こちらは「長い19世紀」の掉尾を飾る図書館と言ったところでしょうか。壁面の装飾や扉などにも歴史主義の名残がにじみ出ています。アールヌーヴォーまで到達していないのですね。傍らのヴォールトからは1813年に出来たロシア正教会の御堂が見えます。そして図書館旧館と棟続きに出来たばかりの新館(2011年)が顔を出します。
 なんだかとんでもないところに迷い込んだ感じ。まあ、良い気分転換になりました。これからはほぼ休みなく演奏会の日々なので、ゆっくり観光は今日でおしまい。また仕事モードに戻ります!







.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.