ダニエル・ハーディングは何型か?


 今回話題にしたいのは、血液型性格判断のことではなく、指揮者としての類型のこと。ダニエル・ハーディングのように、世評と実際の型とが異なっている音楽家を目の前にすると、より一層、そんなことを考えたくなります。
 新日本フィルのミュージック・パートナー(首席客演指揮者)に就任したハーディングの披露公演を前に、3月10日、すみだトリフォニーホールで公開リハーサルと記者会見が行われました。
 公開リハーサルでは、マーラーの《第5交響曲嬰ハ短調》とヴァグナーの《パルジファル 第1幕への前奏曲》をみっちり練習。聴いて分かったのはこんなこと。つまるところハーディングは、楽典的な事柄に極めて忠実な指揮者なのですね。たとえば、3拍子は強弱弱をしっかりととか、シンコペーションロングトーンは鋭く入るとか、属和音で緊張感を高めて主和音で緩和するとか。これは「スコアに忠実」というのとは少し違っていて、スコアには明示されない、スコアを読む時の前提に関わる部分(コードとかコンテクストと言った方が分かりやすいでしょうか)に忠実だと言うこと。この部分を大切にした音楽は、そうでない音楽とは「推進力」が違います。少なくとも調性音楽は「響きの力動」といってよい代物です。その力動を司るのが拍節と和声進行、そして身体性(弓の上げ下げ/呼吸)。そこに依拠しないスコアリーディングは、実は何も読んでいないのと同じです。
 音楽家はみな、楽典に通じているのだから、そこに依拠するのは当たり前では、という声もあるかもしれません。そんなことないんです。そんなことのない連中はもう、たくさんいて、その代表はカラヤンです。彼はスコアに書いてあることには忠実でした。でも、それを読み解く音楽的コードの存在には無頓着。だから3拍子は強強強(か中中中か弱弱弱、つまり1拍子。だってスコアに強弱弱なんて書いてないもん!)になってしまうし、和音の変化はもちろんあるけれど、「緊張と緩和」という和声の力動性は極限まで薄められるし(属和音と主和音とでどちらが緊張しているかなんてスコアには…以下省略)、どのパートからも心太を押し出したような音しか出てきません。
 古楽はそういう音楽にアンチテーゼを突きつけ、いわば顕在的に「スコアを読むためのコード」を再構築してきました。アーノンクールブリュッヘンが代表です。そういったことが潜在的に出来てしまう音楽家もいて、カルロス・クライバーはその最たる例でしょう。両者は相似の結果を残しますが、そうなるきっかけは大いに違っています。簡単に言えば、考えて(根拠立てて)そうしているのか、考えなしに(自分の音楽的バックグラウンドだけを根拠として)そうしているのか。
 アンチ・カラヤンサウンドという点ではハーディングも同様ですが、問題は古楽型かクライバー型かということ。ハーディングはクライバー型ですね。楽典に忠実なのは、そういった音楽的環境に育って、そのことを自明として来たから。歴史資料や古楽器などにその根拠があるわけではない。でも読み解くコードは妥当なので、音楽の力動性は少しもスポイルされず、結果として、真の意味でスコアに忠実な演奏になるわけです。(ただ、自分ひとりの経験には限界がありますから、外部にも根拠を担保している古楽型に移行した方が先々のキャリアのためには有効でしょう。)
 後半の記者会見を聞けば、そのことはよりはっきりします。話してみれば、深い考えのある人ではないことが分かります(少しもけなしていません)。だからハーディングは、巷間で言われているような古楽型の指揮者では決してありません。しかし、出てくる音楽の力強さは間違いないのですから、これはクライバー型というほかありません。
 巧妙なのは、考えの深い古楽型の指揮者であるかのように振る舞えるところです(ほめてます)。実際はそんなに思慮深くないのに(重ねて言いますが、けなしてません)、少なくとも「あっぱらぱー」(死語?)には見えない。そこに英国出身指揮者の系譜を読み取るのは穿ち過ぎというものでしょうか。
 記者会見で「ミュージック・パートナー」という前向きな名前の肩書きに触れ、新日本フィルとの蜜月を強調したハーディング。相性もなかなか良い様子。3月11日, 12日のマーラーは聴きものです。


<記者会見こぼればなし>
19世紀末から20世紀前半の曲が並ぶハーディング&新日本フィルの今シーズン・プログラム。最終日にだけ19世紀初めの作品、ベートーヴェンの《第7番》が置かれています。近現代作品に囲まれた古典派作品。そのあたりの意図を聴いてみたところ・・・
「このオーケストラがブリュッヘンベートーヴェンの経験をたくさん積んだことは知っている。そこで得た経験がどのように結実しているかを知りたい。ブリュッヘンは私が心から尊敬する音楽家のひとり。その人の音楽を新日本フィルがどのように継承したか、大変興味がある。私もブリュッヘンの芸術的遺産を活かした演奏をこころがけたい。」
つまり、プログラム構成上の深い意味はないそうです(笑)。ブリュッヘンとのベートーヴェン・プロジェクトの成果を確認し、自らの音楽作りの参考にもしたい、というところから《第7番》を6月の演奏会に組み入れたとのこと。期待していた答え(プログラム構成上の工夫)とは違いますが、まあ、ブリュッヘンとハーディングの音楽的接点を明確にできた点で、収穫ありでしょうか。


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ダニエル・ハーディング新日本フィルハーモニー交響楽団
3月11日(金)19:15開演/3月12日(土)14:00開演/すみだトリフォニーホール
ヴァグナー《パルジファル 第1幕への前奏曲
マーラー交響曲第5番 嬰ハ短調
くわしくはこちら
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写真:ダニエル・ハーディング(3月10日, すみだトリフォニーホール)