ブリュッヘン、まさかの暴走?!


<記者会見2>(記者会見1の様子はこちら

 アルミンクからバトンを受け取った当方、ブリュッヘンに次のような質問をしました。

[質問(1)]
 9つの交響曲の演奏に際し、曲ごとに管弦楽の規模を変える考えを持っているか。
 初演時の楽団規模で各交響曲を比べると最小が《第4》で最大は《第8》。《第4》の初演は1807年、ヴィーンのロプコヴィツ伯爵邸。管弦楽は伯爵お抱えの楽団が担当。《第4》がフルート1本の編成なのは、この楽団の構成にあわせたもの。

 18〜19世紀にかけての楽団規模に関するザスラウの研究によれば、フルート奏者が1人で、他の管楽器が2人の宮廷楽団の場合、弦楽器奏者の数は平均10人強。したがって、オーケストラ全体で25名ほどの規模だったはず。

 一方、《第8》の楽器指定は、管楽器が2本ずつと弦楽器5パートの標準的な編成だが、それは楽譜上のこと。1814年2月の《第8》初演時の編成を、ベートーヴェンはメモで残している。それによると、第1・2ヴァイオリン各18名、ヴィオラ14名、チェロ12名、コントラバス7名、管楽器は各パートの人数を倍にした24名、楽譜にないコントラファゴット2名、ティンパニ1名で、オーケストラ総計96名、ということが分かる。

 最小と最大を比べるとおよそ4倍もの開きがあるが、こういった規模の違いを、このプロジェクトでは反映させるのだろうか。楽団員の数を曲ごとに増減する、というのはもちろんのこと、人員の増減はしないが、演奏上の工夫で反映させるという方法もある。
 先ほどのリハーサルでは、《第9》から《第8》に移るときに弦楽器の規模を縮小していた。初演時の編成に鑑みればこの縮小は逆行しているようだが?


 この質問でブリュッヘンの「おしゃべり魂」に火がつきました。こちらは上記の質問をほぼこの字面通りに発言しましたから、時間にしてだいたい2分。それに対してブリュッヘンは20分ほどかけて返事をしてくれたのです。ありがたいことです。
 とは言え、質問に対する直接の答えははじめの5分ほど。あとの15分はブリュッヘンの楽しい独演会(暴走?)です。話の内容は、有名な《第9》の初演エピソードや、「オーケストラで一番えらいのは?」といった楽団あるある、ベートーヴェンの「ガサツな生活」など。もう、とまりません。内容はまぁ、戯れ言です。でも愉快な話。なにより本人が楽しそう。
 しかし、本題から逸れている上、質疑応答の時間がどんどんとなくなっていきます。ここでは、本題にあたる部分--はじめの5分--をご紹介するにとどめます。


[質問(1)への回答]
 19世紀の初めにベートーヴェン交響曲を演奏したオーケストラの人員をざっと平均すると、第1・2ヴァイオリン各10名、ヴィオラ5名、チェロ4名、コントラバス8名。コントラバスが多いのは、ひとつには厚い低音が好まれたこと(註3)、ひとつにはアマチュアが多く楽器の状態も悪かったので、人員を多くする必要があったため。
 この編成を参考に、モダン・オーケストラの実情にあわせて第1・2ヴァイオリン各10名、ヴィオラ6名、チェロ4名、コントラバス3名とし、これを《第1》から《第8》まで適用した。《第9》に関しては初演時の編成とほぼ同じく、第1・2ヴァイオリン各14名、ヴィオラ10名、チェロ8名、コントラバス6名とした。


 なるほど、ブリュッヘンも初演時のオーケストラの規模にそうとう目を配っていたわけですね。ただ、現代の楽器や演奏会の事情にあわせて、《第8》までは平均値をとって適用。《第9》はほぼ初演通り。だから《第8》と《第9》とで逆転現象が起きていたわけだ。ふむふむ(註4)。オーケストラの編成とそこから類推される管弦のバランスは、18・19世紀の音楽を演奏する際、この上なく大切な事柄のひとつですから、そこに目配りがないはずないですね。本番時、管弦バランスをどのように調整しているか、聴き逃せません。他にもたずねたいことは山ほどあったのですが(註5)、時間の関係でソロ・コンサートマスター崔文洙さんへの質問に。

 
[質問(2)]
 ブリュッヘンとの共演を通して楽団員の方々は、18〜19世紀音楽の演奏法に関する知見を深められたと思う。ふだんモダン・オーケストラでご活躍のみなさんにとって最も参考になったのはどのような点だろうか。具体的に1点、教えて欲しい。
 また、そういった知見が新日本フィルだけに留まるのは、日本の音楽界全体としてはもったいないことだから、ぜひ多くの音楽家に共有して欲しい。オーケストラ団員の人事交流などで、それらの知見を他の楽団の音楽家と共有する、という可能性はあるか。実際、崔さんは大阪フィルの客演コンサートマスターでもある。その上、大阪フィルは現在、延原武春さんの指揮によって古典派の演奏で成果を上げている。こういった東と西の成果が合わされば、より大きな実りを得ることに繋がると思うが、その点をどうお考えか。


 この質問に対して、ブリュッヘンに負けず劣らず丁寧に答えてくださった崔さん。ブリュッヘンにはまだまだ学ぶところが多いとおっしゃっています。


[質問(2)への回答]

 ブリュッヘンとの初共演は、2005年のシューマン交響曲第2番》。衝撃的だった。ブリュッヘンのリコーダーの演奏を愛聴していたので、同じ舞台に立つ感動もひとしお。これまでの共演を通して、18世紀から19世紀へと繋がる音楽の流れを理解することができた。アーティキュレーションとフレージング、スコアの読み方、ベートーヴェンならば速度記号の考え方などを学んだ。アカデミックな指示も多いが、そこから導かれる音はとても新鮮。
 大阪フィルの古典派シリーズを振る延原武春さんとも、ベートーヴェンの演奏について相談をするが、ブリュッヘンの解釈が話題に上ることも多い。こういった形でブリュッヘンの教えを全国で共有できたらすばらしい。ただ、楽団員同士の交流は困難が多い。個人的には努力したい。(ここでブリュッヘンが会場に対して崔さんへの拍手を促す)


 東の「ブリュッヘン新日本フィル」と、西の「延原&大阪フィル」のベートーヴェン演奏は、すでにハイブリッド化が進んでいるのですね!この流れが加速していけば、日本の古典派音楽の演奏レヴェルはぐっと上がることでしょう。そうなればブリュッヘンは、新日本フィルの恩人というだけでなく、日本の楽壇全体の恩人ということになります。学恩ならぬ楽恩を胸に、ベートーヴェン・プロジェクトに向かいたい、そんな気持ちになりました。

(つづく)

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(註3)
 エステルハージ家楽長時代のハイドンや、ザルツブルク時代のモーツァルトも、低音にバランスの寄ったオーケストラで演奏をしていた。たとえば、モーツァルト奉職当時のザルツブルク宮廷楽団の構成人員は次の通り。第1・2ヴァイオリン各6名、ヴィオラ2名、チェロ2名、コントラバス4名(1779年)。つまり、18世紀末以来の音響バランスが、19世紀初めのヴィーンでもまだ好まれていた、ということを表している。

(註4)
 人員の平均値をとってしまうところに、ベートーヴェンの9つの交響曲を線的に捕らえているブリュッヘンの思考がよく現れている。9つそれぞれを異なった用途、異なったジャンルの楽曲だと考えていれば、編成を平均化したりはしない。

(註5)
 事前のインタビューなどで、ジョナサン・デル・マール校訂のベーレンライター新版を使うと公言していたブリュッヘン。デル・マール版の内容についても絶賛していましたが、リハーサルで手にしていたのはブライトコプフの旧版。これはいったいどういうこと?ブライトコプフの旧版スコアに、デル・マール版の要素を書き加えていたのかもしれない。これは聞いておきたかった。

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ベートーヴェン・プロジェクト(交響曲全曲演奏会)
2011年2月8,11,16,19日
ブリュッヘン指揮, 新日本フィルハーモニー交響楽団 ほか
すみだトリフォニーホール, 特設サイト
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写真:フランス・ブリュッヘン(1月28日, すみだトリフォニーホール