モーツァルトの愛器が初来日しましたが・・・


 キリスト教の、とりわけカトリックの世界で崇敬を集めているものに聖遺物があります。ざっくりといえば、キリストやマリア、使徒や聖人にゆかりのある物品のこと。それぞれの遺骨はもちろんのこと、血や汗を拭いた布やお墓もその範囲に入ってくることでしょう。まぁ、キリストの遺骨と言われているものをすべて集めると人骨1,000体分にもなるといいますし、得体の知れないものも多い。それでもなお、カトリック信徒の崇敬を集めるのだとすれば、それは正に信仰のなせる業というほかありません。

 モーツァルトが幼少時に使っていたヴァイオリンが初来日しました。モーツァルト演奏の新しい一面が発見できるかと期待していましたが、その思いとは裏腹に、楽器は「聖遺物」に祭り上げられてしまいました。

 愛器のお披露目会は年の瀬の12月11日、六本木の新国立美術館。デモ演奏もあるということで心が弾みます。

 「モーツァルト・キンダーガイゲ(お子様ヴァイオリン)」は1762年、モーツァルトが6歳の頃に手にした楽器で、初めて自分専用として与えられたヴァイオリン。モーツァルトの手に渡る前は姉のナンネルが使っていたようです。全長26.2cmで、子供用の1/4サイズと1/2サイズのちょうど中間。バロック期に使われていたヴィオリーノ・ピッコロと同じ大きさです。ヴィオリーノ・ピッコロとは、普通のヴァイオリンより完全4度高く調弦された楽器。父親のレオポルトが、自分のヴィオリーノ・ピッコロの調弦を変えてヴァイオリンに仕立て、それを子供に与えたのではないかと想像されます。
  当日の司会者によれば、往時の音色をなるべく再現するためにガット弦を張っているとのこと。羊の腸を撚って作った昔ながらの弦です。ところが、弓はモダンのスワン型(弓の先が白鳥の形をしている)。あご当てもあれば肩当てもあります。基準音も現代標準の440Hz。演奏をしてくれた中学生の女の子は優秀でしたが、もちろん古楽奏法など知りません。おやおや、司会者の言っていることと実際に行われていることがかなり違っているような・・・。

 そういった中途半端な取り組みから生まれるのは当然、中途半端な音です。モーツァルト6歳の頃を最大限に忖度した音色でもなければ、モダンの音色でもない。仮に、相当に考証を重ねて演奏が行われたなら、モーツァルトが聴いた(かもしれない)サウンドが21世紀の東京に蘇り、そこから新しい演奏の地平が開けたかもしれません。一方できっちりとモダン仕様に調えておけば、現在の美的感覚にぴたりと寄り添う音が聴けたかもしれないのです。しかし今回のお披露目では楽器がまるで鳴っていないのですから「名器」という評価にはつながりません。

 つまるところこのセレモニーは、モーツァルトの「聖遺物」を紹介するに過ぎない催しだったということです。神童モーツァルトは、こんな名器を使っていた、というわけでもなく、当時の音色はこうだからそれに即した新たな演奏の地平が開けた、というわけでもない。ただ、この楽器をモーツァルトが子供の頃に触った、というだけ。今後のモーツァルトの演奏に寄与するところがまるでない、そんなお披露目会になってしまったわけです。

 「聖遺物」に価値がないとは申しません。「信徒」の方には「貴重」なものです。でも、ご本尊たるモーツァルトは、音楽に寄与しないような楽器が厨子に入れられ奉られることを善しとするでしょうか。これは楽器そのもののせいでも、演奏を担当した天才中学生のせいでもありません。コンセプトを整えられなかった「大人たち」のせいです。芯がしっかりしていないとイヴェントがうまく行かない例の最たるもの。他山の石を以て玉を攻くべし、と肝に銘じました。

写真:F.A.マイアー製作<モーツァルト・キンダーガイゲ>ヴィーン, 1746年。