<ゴルトベルク変奏曲>をめぐる「第2変奏」


 ライプツィヒ・バッハ音楽祭でシュタイアーが<ゴルトベルク変奏曲>を演奏するのを記念して、この曲に関するコラム(全2回)をお送りします。今回はその第2回。

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 貨幣単位は1タレル=1フロリン3グロッシェン=24グロッシェン=288プフェニヒ。18世紀前半の床屋の年収が50タレル、大工の年収が90タレル、牧師の年収が175タレル、バッハがケーテンの宮廷楽長だったときの年俸が400タレルです。いっぽう物価に目をやると、牛乳1Lが5プフェニヒ、上等のワイン1Lが6グロッシェン、牛肉約450gが1グロッシェン3プフェニヒ。このあたりの数字を勘案すると、1タレル=4万円ほどでしょうか。以上の目安で<ゴルトベルク変奏曲>の楽譜の価格を計算すると12万円になります。
 次に当時の演奏会のチケット代。『クラヴィーア練習曲集』の各曲は、ライプツィヒのコーヒーハウス・ツィンマーマンでの公開演奏会で披露された可能性があります。ツィンマーマンでの演奏会は無料で、あくまでもコーヒーハウスの販売促進扱いでした。では、同時代の公開演奏会のチケットはいかほどだったのでしょうか。1725年、公開演奏会のはしりとして有名なコンセール・スピリチュエルがパリで産声を上げました。この演奏会のチケットが2リーブルと4リーブルの2段階。当時の為替によると3リーブルで1フロリンですから、高い方の4リーブルで4万円強です。
 つまり、18世紀に<ゴルトベルク変奏曲>を演奏したり聴いて楽しんだりするためには、楽譜に12万円、演奏会に4万円ほどを支払わなければならない計算です。このことから、当時この楽曲がターゲットにしていた「愛好家」がかなり限られた階層であることが分かります。
 そんなバロック期の事情と比較すると、現代を生きる私たちが恵まれた状況にあることは間違いありません。18世紀に比べ、圧倒的に多くの人々がこの曲にアクセスできるようになっています。バッハが<ゴルトベクル変奏曲>のタイトルに付した「愛好家のために」という文言は、200年以上を費やして真に実現されたと言ってよいでしょう。

(了)

写真:久保田チェンバロ工房<イタリアン・ヴァージナル>(16世紀, プサウレンシスのモデルに基づく)