日本テレマン協会のベートーヴェン (5)


 日本テレマン協会の「ベートーヴェン交響曲全曲&合唱幻想曲・荘厳ミサ曲」シリーズの第5夜(7月18日、大阪・いずみホール)。プログラムは<合唱幻想曲ハ短調>作品80と<第9番ニ短調>作品125。作曲当時の楽器・奏法・編成、そしてメトロノーム記号を踏まえての演奏です。日本テレマン協会は、延原武春さんによって創設されたバロック・古典音楽の総合団体で、「テレマン室内管弦楽団」、「コレギウム・ムジクム・テレマン」、「バロック・コア・テレマン」などの演奏団体を抱え、関西を拠点に活動をしています。

 日本テレマン協会にとって、すでに古典派楽器で実践を重ねている<第九>は慣れた演目のひとつ。今後も演奏会で取り上げることもあるでしょうから、今回は<合唱幻想曲>について。
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 モダン楽器での演奏でも実演は珍しい<合唱幻想曲>。フォルテピアノの即興的前奏に続き、管弦楽が登場。協奏曲風に推移した後、フォルテピアノ管弦楽の各パートとの室内楽的な掛け合いを挟んで、独唱と合唱が「音楽藝術の賜物」を高らかに歌い上げる。
 <交響曲第5・6番>が初演された大規模な公演(「大アカデミー」1808年)の掉尾を飾るべく作曲された<合唱幻想曲>。大交響曲2曲を抑えての「大トリ」というのが興味深い。ここには「声楽曲こそ最上の音楽」という19世紀前半の時代精神が透けて見える。
 さて当夜は、古典派時代の楽器ないしそのレプリカで揃えた管弦楽に加え、フォルテピアノ1820年代のオリジナル。ベートーヴェンと深いつながりを持つ、ナネッテ・シュトライヒャーの製作した楽器だ。この日の演奏が、これらの楽器を使ったからこその<合唱幻想曲>になったことは言うまでもない。
 フォルテピアノの声部では、同じ形の旋律が左手の低音部から右手の高音部へ、または右手から左手へと受け渡される場面が多い。低音部から高音部まで同様の音色を目指すモダンピアノでは、左右の手で旋律の受け渡しがあっても音域が変化するだけ。ところが、低音部・中音部・高音部でそれぞれ異なった音色を持つこの日のフォルテピアノの場合、左右の手の受け渡しは、音域の変化のみならず、音色の変化をも伴っている。たったこれだけのことでも音楽はぐっと色彩的に、立体的に響く。
 また、ベートーヴェンは半小節に満たない急激なデクレッシェンド(音量の漸減)をフォルテピアノの声部に書き込んでいるが、モダンピアノでこれを実現するのはとても難しい。というのも、モダンピアノは音の減衰に掛かる時間が長いため。息の長い旋律を演奏するのに適したこの特徴も、ベートーヴェンの求める急激なデクレッシェンドには不都合だ(モダンピアノでこれを実現するには高度なペダリング技術が必要)。一方、フォルテピアノは音の減衰が速いので、ごく自然に急激なデクレッシェンドが実現する(この話題1つとっても、ベートーヴェンがモダンピアノを想定して音楽を書いていた、などという言説が嘘っぱちであることが分かる)。
 フォルテピアノ管弦楽の協奏的な部分で指揮者・延原は、バロック期のコンチェルト・グロッソ方式を採用。フォルテピアノのソロ時は管弦楽のトップ奏者だけが演奏するスタイルで、18〜19世紀のヴィーンでは当たり前の演奏法だった。この方式により強弱のメリハリが強調されるとともに、高い水準のアンサンブルが実現。バロック期の音楽に永年取り組んできた音楽家ならではの視点だ。
 古典派楽器によって見えてきた(聴こえてきた)これらのポイントから、次のようなことに気づかされる。モダン楽器による演奏(サウンド)で判断すると「駄作」との誹りを受ける<合唱幻想曲>。しかし、古典派楽器/様式で演奏し、19世紀の時代精神を探ってみれば、ベートーヴェンが目指した音楽上の意図は鮮明になり、単調とか色彩に乏しいという評価が的外れであることが分かる。
 20世紀の後半に、西洋音楽が被ってきた「誤解(もしくは信仰)」を解き、われわれの耳に更新を迫った古楽運動。それがまだまだ力を失っていないこと(逆に言えばまだまだわれわれの耳は更新されていない)、相対化すべき対象がまだまだ残されていること、古典派楽器によって19世紀にメスが入れられたことが当夜の演奏ではっきりした。ベートーヴェンへの挑戦はまだ端緒に着いたばかり。延原武春の「手術」がしばらく続くことは間違いない。


写真:フォルテピアノ, ナネッテ・シュトライヒャー製作, ヴィーン, 1820年代. (C)いずみホール