ジスモンチのピアノの秘密


 エグベルト・ジスモンチの2008年日本公演が幕を閉じました。多くの日本人に強烈な印象を残して次の演奏地へと旅立ったジスモンチ。一方で「日本」も、彼の心中に強烈な印象を残したのではないでしょうか。その1つが「ピアノの調律・整調技術」だったと思います。
 2007年の公演では、演奏中にピアノの部品が吹っ飛ぶアクシデントもあり、奏者にも聴衆にも満足のいく楽器の状態ではなかったようです。ところが今年のピアノは、われわれ聴き手の耳にもすこぶる良質に響きましたし、ジスモンチにとっても満足度の高い仕上がりだった様子。
 その1番の功労者はピアノ調律師の按田泰司さん。古典鍵盤楽器でも現代ピアノでも、日本の調律師の技術は世界に誇る高いレヴェル(ドイツなんかではざらに歯抜け[音のでない鍵盤がある状態]のチェンバロに出会う)を保っていますが、そんな日本の中でも評価の高い調律師のおひとりです。
 そういう事実を知ってか知らずか、調律時のジスモンチの要求は微に入り細を穿つものだったとのこと。そんなジスモンチの「注文」の中でもとくに2つの事柄に注目して、彼のピアノの秘密を探ってみようと思います。

 ジスモンチと調律師・按田さんとのやり取りを伝えてくれたのは、アリオン音楽財団ジスモンチ番のxxborgesxxさん。曰く「ジスモンチは鍵盤の重さをきわめて重めに、鍵盤の戻りをきわめて速くと要求していた」とのこと。
 鍵盤を重くする際の機構改良(鉛調整、支点変更など)や鍵盤の戻りを速くする方策(ジャックを戻すスプリング強化、バックチェック調整)について語ることは、わたくしの能力を超えていますし、紙幅(画面幅?)の関係もあるので割愛します。ここでは「ジスモンチの要求はいったい何を実現するためのものなのか」を考えてみましょう。

(1)重い鍵盤
 狙いは「繊細な弱音の実現」と「タッチの許容度の拡大」。弦を打つハンマーの速度が遅ければ遅いほど、ピアノの音は小さくなります。鍵盤が重ければ重いほどハンマーの速度を遅くできますから、演奏者の腕力(手首力・指力)が並外れていると仮定すれば、A. ダイナミクス(音の強弱の触れ幅)は大きくなり、B. タッチの許容度も大きくなります(例えば、多少乱暴に弾いても雑な音にならない、など)。

(2)速い戻り
 狙いは「同音連打の速度の確保」です。ジスモンチの音楽の特徴の1つ、リズム・オスティナート(同じリズムを執拗に繰り返すこと)。速い曲でそれをするには、鍵盤の戻りが速くなくてはなりません。さもなければ、リズムが歯抜け(鍵盤を叩いているのに音が出ない状態)になってしまいます。グランドピアノの場合、ハンマーが打弦し、次に弦を打てるようになる(準備完了)まで、1/1000から2/1000秒ほど。またグランドピアノはアップライトと違い、鍵盤を約1mm持ち上げただけで次の打弦の準備ができます。「鍵盤の戻りを速く」とはすなわち、この準備完了までの時間と鍵盤の実動距離の短縮とを意味しています。

 ジスモンチは、タッチの許容度を高め「雑な音」を排除し、より繊細な音を実現するため、また圧倒的な演奏速度を確保するため、調律・整調に「注文」を出していたということです。ピアノを弾いて舞台袖に帰ってくるたびジスモンチは、調律師の按田さんに感謝を捧げていたとのこと。「日本にはすばらしい調律師がいる」という事実が、ジスモンチの脳裏にはしっかりと刻まれたことでしょう。
 ジスモンチのピアノの美音に魅せられた方は多くいらっしゃると思います。その裏にはこのような「注文」と、それにパーフェクトに応えた技術者の「矜持」があったのですね。今回のジスモンチ来日中、わたくしがもっとも気に入ったエピソードのご紹介でした。


写真:ジスモンチとピアノ (C))Roberto Masotti/ECM Records
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おまけ:大阪公演と東京追加公演のプログラム詳細です。

7月4日(金)大阪フェニックスホール
(Guitar solo) <Mestiço and Caboclo> <Zig Zag> <Selva Amazônica> <Ciranda Nordestina> <Lundú> <Dança dos Escravos> <Salvador>
(Piano solo) <Frevo/Karate~Recife/Bodas De Prata> <Palhaço> <7 Anéis> <Infancia> <Fala da Paixão> <Forrobodó> <Realejo/Loro>

7月5日(土)第一生命ホール
(Guitar Solo) <Mestiço and Caboclo> <Zig Zag> <Selva Amazônica> <Ciranda Nordestina> <Lundú> <Dança dos Escravos> <Salvador>
(Piano Solo) <Frevo/Karate> <Recife/Bôdas De Prata> <Infância> <7 Anéis> <Realejo> <Forrobodó> <Loro> <Palhaço>