ライプツィヒ・バッハ音楽祭 (7)


6月15日、「折衷古楽」は何を聴かせたか


 ライプツィヒ旧市街の北、ノルトプラッツにそびえる単塔がミヒャエル教会。ライプツィヒの主要な教会、ニコライとトーマスの長堂建築とは違い、楕円形の集中聖堂です。その形が音響的に望ましいのか、ムジカ・アンティカ・ケルンの創設者ラインハルト・ゲーベルは、バッハ音楽祭に参加するたび、この場所で公演を行っています。今年も例によってミヒャエル教会を舞台に選び、バッハ一族の管弦楽曲を披露してくれました。 
 ゲーベルが率いたブレーメン・ドイツ室内管弦楽団は普段、モダン楽器を演奏しますが、この日は18世紀の音楽を演奏するということで、いくらか「工夫」を凝らしていました。第1に弦楽器の弓を「18世紀前半スタイル」にしたこと。現代の弓と違い、木の部分は「順反り」(モダンは逆反り)で、長さも少し短いもの。重心が中程(モダンは持ち手近く)にあるので、そのまま下げ弓で弦をひくと、緩いクレッシェンド・デクレッシェンドが自然とつきます。
 第2に、最近のモダンオーケストラでも行われることがあるノンビブラート。オートマチックにビブラートをかける奏法に比べ、ノンビブラートの音は清澄さに優れています。また、ココぞという場面にビブラートを活用するため、装飾としての効果が大きくなります。
 それで、こういった「工夫」が評価できるのかというと、一概に「良し」とは言えません。弓を持ち替えても、楽器自体は金属弦を張ったモダン・ヴァイオリンで、弓の上げ下げもモダン奏法そのものです。モダンとは重心が違う(操作のメカニズムが違う)弓を、モダンの仕方であつかってもろくなことはありません。実際、多くの楽器が鳴らずじまい。モダンの弓ならもっと響くのに、と思ったのは何もわたくしだけでなく、奏者も同じ気持ちだったのでは。この工夫を活かすためには、18世紀様式の弓から「学ぶ」姿勢がなければなりません。モダンの奏法を18世紀の弓に押し付けるのならば、もはやそれを持つ意味はないでしょう。
 第2の工夫、ノンビブラートは相応の効果を上げました。しかしより重要なのは、楽曲の形式、アーティキュレーション(旋律の分節法)や舞曲のリズムなどを理解することと言えましょう。それらの上にたって、このアーティキュレーションを、このリズムを活かすためにビブラートは控え、ココぞという場面で装飾として使おう、という段階を経てノンビブラートにいたっているか。それは聴けばすぐに分かることです。
 18世紀の音楽を古楽で演奏することが当たり前のいま、弓だけを18世紀の様式にし、ノンビブラートにするだけで研究そのものが浅いモダンオーケストラの演奏に、果たしてどれだけの聴衆が納得するでしょうか。もちろん、古楽の雄・ゲーベルの指揮ですから、それなりの目論みがあってのことでしょうが、それにしても・・・。
 演奏者の名誉のために付記しますが、ブレーメン・ドイツ室内管弦楽団は非常にレヴェルの高い楽団で、弦楽器の能力はもちろんのこと、とりわけすばらしかったのはフルートとクラリネットです。だからこそ「えせ古楽」をさせられるのは哀れ。モダンの楽器・モダンの弓でもって古楽の語法を実現することだってできますし、そこに望ましい折衷が生まれ、新たなムーブメントになる可能性もあるはず。ゲーベルがそのあたりを見誤ったということでしょう。


写真:ミヒャエル教会