ピアノのピアノによるピアノのためのトッカータ


山本裕子(やまもとひろこ・ピアノ)
J.S.バッハ<トッカータ全集>BWV910-916


 「ピアニズム」という言葉があります。「ピアノやピアノ曲に対する考え方」(たとえば「リストのピアニズム」)、「ピアノの流儀」(たとえば「ロシア・ピアニズム」)、「楽想のピアノらしさ」(たとえば「この曲にはピアニズムがある」)など多様な意味を含んでいます。私は、山本さんのトッカータの演奏を聴いて、彼女の豊かなピアニズムを感じました。
 <7つのトッカータ>は、バッハが20歳代前半のときの作品と考えられています。オルガンとチェンバロ、バッハがどちらの楽器を想定して作曲したか、ずっと議論となっていますが決着はついていません。いずれにせよ、は〜3点ハの4オクターヴを備えた鍵盤楽器であれば演奏できます。7曲はそれぞれ、いずれの楽器で演奏しても失われない固有の楽想を持っています。BWV910、911、915はチェンバロ風、BWV912と914はリュート風、BWV913はオルガン風、BWV916は弦楽合奏風と言って良いでしょう。
 ところがです、山本さんの演奏を聴くと、これらの楽想はもはや霧消し、すべてピアノのために書かれた曲であるかのように聴こえるのです。これはちょっとした事件であり、なかなかに愉快なことです。バッハの曲に聴こえないはずのピアニズムが聴こえるのですから。こんなことを実現するには、演奏者は深くピアニズム(1つ目の意味)に没入していなければなりません。
 私はこのCDを聴き、山本さんは深く深くピアニズムに沈潜しているのだな、という思いを深めました。そして、これがピアニストというものか、という確信を得ました。ピアノ弾きの枠を超え、ピアニズム信奉者という意味でのピアニストです。バッハの想定をも飲み込むピアニズムの世界を、みなさまもお楽しみ下さい。


山本裕子(やまもとひろこ・ピアノ)
J.S.バッハ<トッカータ全集>BWV910-916(全7曲)
横浜みなとみらい小ホールでの録音セッション(2007年5月8, 9日)
WWCC-7572 2625円