日本テレマン協会のベートーヴェン (3・後篇)


 ベートーヴェンの9つの交響曲が革新の過程をたどっていて、たまにひと休み(第4、8番)しつつも、その方向性は第9番で極まる、という直線的進歩史観は「つまずきの石」。この進歩史観を支えているのは、9つの交響曲をすべて同一のジャンルとみなすジャンル意識だろう。実際は、楽曲の演奏される場所や機会、注文主といった音楽外の要素によってもジャンル意識は形成されており、多様な(多様にもほどがある)9つの「交響曲」を1つの枠に閉じ込めるのには無理があるのではないだろうか。
 以上を念頭に置いて<交響曲第4番>を考えたい。従来の視点によるとこの交響曲は、<第3番>と<第5番>という峰に挟まれた低地とされる。しかし、この交響曲を谷間と考えるのは、直線的進歩史観とそれに基づくジャンル意識によっているからだ。
 <第5番>と創作時期が重なる<第4番>だが、両者の「用途」はかなり異なっている。大規模な公開演奏会のために作曲された<第5番>。一方、私設オーケストラを持つ貴族の依頼で書かれたのが<第4番>。注文主の伯爵はベートーヴェンの<交響曲第2番>をこよなく愛していたという。この点で<第2番>とのつながりも納得できる。音楽の内実が3番・5番とは大きく異なり、用途も異なっていることを考慮すれば、<第4番>を無理に「交響曲」の文脈に位置づけるより、少なくとも第3番・5番とは別のジャンルと考えるほうが望ましいのではなかろうか。
 そこから見えてくるのは、ベートーヴェンが<第4番>を「管楽合奏曲」のジャンルに寄せて企図していた可能性だ。というのも、この曲は注文主の私設オーケストラを想定して書かれている。フルート1本の編成はそのオーケストラの規模にあわせた措置だろう。当時、フルート奏者が1人(その他2管)の宮廷楽団の場合、弦楽器奏者は全員あわせて平均10人強。この規模の楽団で<第4番>、すなわちクラリネットなど管楽器がこれまでになく活躍する曲を演奏したら、その音響はいかなるものだったろうか。「当時の耳」を再現することは出来ないにしても、史料にもとづく想像は「歴史の遊戯」として認められるだろう。管楽器の活躍と弦楽とのバランス、ここが<第4番>の聴きどころと言える。
 当夜の演奏は、史料からうかがい知れる作曲者の「意図(といえるうちの1つ)」を的確に表現。「厚い弦5部に支えられた(高低音域ともに)均質な音質の管楽器」という「カラヤンサウンド」を捨て、管弦バランスの逆転(というよりも本来性の回帰か)と音色の多様性の追求とに貫かれていた。そこから浮かび上がったのは、われわれが考えていた以上に管楽器が幅を利かせる<第4番>の姿。ときおり「ほんの10人ほどで弾いている」かのように聴こえる弦楽器群のアンサンブル能力とバランス感覚は、「管楽器の神輿」を担ぐのに充分の足腰だ。
 20世紀のカラヤン・ドグマとは無縁、原理主義的(つまりノーテンキな)古楽とも一線を画す。楽器・奏法・学知そして感受性をフルに動員した演奏は、「9つの交響曲」をめぐる直線的歴史観から<第4番>を救い出した。われわれがピリオド楽器演奏の最前線に立ち会っていることは間違いない。進軍は6月もつづく。いよいよ次は『のだめ』の回だ(第7番・8番。6月20日[金] 大阪・いずみホール)。


写真:ヴィーン国立図書館プルンクザール