R・シュトラウス《ドン・ファン》ほか◇メルクル指揮 トーンキュンストラー管

◇R・シュトラウス:《ドン・ファン》《死と変容》他◇準・メルクル(指揮), トーンキュンストラー管弦楽団◇AVCL25971

準・メルクルは、一見、楽団の弱点とも思えることがらを、作品の彫琢に不可欠な道具として利用するのがうまい。鋏は使いようである。この録音でも、その手腕が遺憾なく発揮されている。シュトラウス作品を正攻法、たとえば精緻な音色操作で描き切るのは、楽団に相当の手練がないと難しい。メルクルは神経を使う音色操作は最低限にとどめ、この楽団のどこか雑な印象の響きを、語り口の変化へと変身させ、表現に結びつけた。それにより描写的な場面も、舞曲のような古典的な楽章も、あくまで抽象的な音運びも、擬似的な発話行為となる。なるほど楽団も指揮者も作曲家も、同じ言語をその根底に持つ。共通理解の土台が固い演奏につながった。


初出:音楽現代 2018年10月号



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青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』

◇青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』平凡社ライブラリー, 2018年

 『ベートーヴェンの生涯』は青木やよひの名著である。著者の最後の1冊として2009年に世に出た。このたびはその再刊。タイトルの通り、ドイツの大作曲家の生涯を追ったものだ。
 この書物は奇妙なバランスの上に成り立っている。資料を可能なかぎり集め、丁寧に読み込み、それを冷静に取り上げ、文章へとつなげていく。一方で、それほど入手しにくいわけでもない資料を欠いた結果、叙述に誤りが生じたりもする。資料の解釈にはおおむね、恣意的なところはないが、ときに作曲家を擁護する筆が過ぎるきらいもある。
 裏を返せばこれは、資料の取り扱いが適正だから、その欠陥もはっきりと見えるということ。事実・伝え聞き・みずからの解釈をきちんと書き分ける文体だからこそ、その解釈の是非を問うことができる。つまりこの著作は、ノンフィクションとして実に生真面目な仕事と言える。その生真面目さがこの本を名著たらしめている。
 作曲家の生涯とその作品との関係を測るのは難しい。たとえば、肉親の死の時期と、悲壮感漂う作品の創作年とが相前後する場合。その両者に関係がまったくないとは言い切れないが、年代の近さだけで両者が深く関係すると断言するのも乱暴だ。青木はみずから描き出した作曲家の生涯に、その作品群をむやみに関係付けたりはせず、事実に語らしめるスタイルに徹する。結果としてそれが、この伝記の屋台骨となっている。
 生地ボンでの共和主義との接触、ウィーンでのフランス革命思想への共鳴などを細やかに綴ることで、「英雄」を経て「第九」へとつながる創作の流れの土台を、読者の頭の中に調える。バッハ親子の作品を学習した履歴を強調することで、晩年の対位法的世界観の源を示す。
 こうした昔気質の、“出汁のよく利いた”文章を、“塩気の足りぬ”読み物と感じる向きもあろう。だが、健全な読書を目指す諸氏にとって青木の著作は、あつらえ向きの“健康食”となるだろう。


初出:モーストリー・クラシック 2018年9月号



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【訂正報】対訳のドイツ語原文に詩句追加(読響プログラム誌)

読売日本交響楽団のプログラム誌『オーケストラ』2018年10月号に寄稿した対訳のうち、オラトリオ《キリスト》のドイツ語原文の詞章に一部、欠落があると(面目ないことに、今さらながら)気がつきましたので、それをお知らせします。誤りは以下の通りです。まことに申しわけないです。お詫びいたします。

【修正箇所】
月刊『オーケストラ 10月号』25ページ
オラトリオ《キリスト》第2部の第9曲にあたるテノールレチタティーヴォ「ピラトは人々に」(合唱「十字架に」の直後のレチタティーヴォ)のドイツ語原文の末尾に以下の詩句を追加。なお、和文に修正なし。

◆追加分
Da antworteten sie:

◆現状
Rezitativ (Tenor):
Pilatus spricht zu ihnen: »Nehmet ihr ihn hin und kreuziget ihn, denn ich finde keine Schuld an ihm.«

◆修正後
Rezitativ (Tenor):
Pilatus spricht zu ihnen: »Nehmet ihr ihn hin und kreuziget ihn, denn ich finde keine Schuld an ihm.« Da antworteten sie:


【解説&対訳】
読響プログラム冊子『オーケストラ』2018年10月号(PDF)


【演奏会情報】
読売日本交響楽団 第582回定期演奏会
2018年10月26日(金)19:00 東京・サントリーホール
鈴木雅明(指揮), リディア・トイシャー(ソプラノ), 櫻田亮(テノール), RIAS室内合唱団(合唱)
クラウス《教会のためのシンフォニア》◇ モーツァルト 交響曲第39番
メンデルスゾーン オラトリオ《キリスト》◇ 同カンタータ詩篇第42篇》



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読売日本交響楽団 第616回名曲シリーズ

 読売新聞社はかつて、アンデパンダン展を主催していた。読響にもその血が流れていることを示すジョヴァンニ・アントニーニ指揮の第1夜。モダンオケの慣習を、力強く打ち破る。
 まずもって読響の "古楽アンサンブル化" が著しい。これは「ノンヴィブラートを使っている」などということが重要なのではない。大切なのは "語り部" である通奏低音奏者がいること。富岡廉太郎(首席チェロ奏者)が子音と運弓とを駆使しておしゃべりをし倒す。岡田全弘(首席ティンパニ奏者)が力感の差異で属和音と主和音とを完全に掌握する。
 その刺激と安定とがないまぜになった土台の上でオーケストラが、レジスター転換(音域変化に伴う音色転換)を利用し、さらにそこに弦楽器の弓の上下、管楽器の息の勢いの変化を加えることで緊張と緩和とを彫り上げていく。レジスター転換、運弓・息の力動差異は、従来のモダンオケならばすべて、均一に奏すことを旨とする事柄ばかりだ。そういう思想に変化が生じている。牽引力というより包摂力を思わせる日下紗矢子のリーダーぶりも古楽らしい。そこに音楽的な素晴らしさが集約されている。
 これでハイドンの歌劇《無人島》序曲が決まらないはずもない。なにせ語ることこそが主眼の作品。そんな作品で達者な弁者たちが、立て板に水で口上を述べる。
 この日、すばらしかったのは、指揮者の求めるこうした音楽像を、楽団はもとより独奏者も共有し、それを最後まで持続させたこと。
 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲には独奏者として、ヴィクトリア・ムローヴァが登壇した。単旋律から対話を思わせる表現を引き出すのが見事。弓が4つの弦を移るたびに音色が変わるので、音域によって登場人物が異なるように聴こえる。そのキャラクターの移動がそのまま、旋律の句読点(アーティキュレーション)となり、その区切りが単旋律から対話風の楽想を引き出していく、という仕組み。
 オーケストラはもとより「多声」なのだが、ここにもひと工夫するのが指揮者の手腕だろう。とりわけ対位法のときに顕著だが、内声を豊かに鳴らす。そうすると、モダンオケにありがちな "ノッペリフォニー" ではなく、ピリオド奏法の目指す立体的な "おしゃべり対位法" が出来上がる。
 こうして(単声の)独奏は独奏なりに、(多声の)管弦楽管弦楽なりに「対話篇」を実現する。その "対話性" が両者で呼応するわけだ。そうすると独奏と管弦楽との対比と親和は、一段、レヴェルを上げる。この一段がすこぶる大きい。
 この "対話性" を維持したまま、ベートーヴェンの第2交響曲へ。初演当時の批評子はこの作品を「まるでハルモニームジーク(管楽合奏曲)のようだ」と評した。その批評を彷彿とさせるように指揮者は、管楽器寄りの音響バランスをとる。このバランスがレジスター転換を強化した。それが強まれば和声の彫りの深さも、声部間のおしゃべり度も増す。
 こうして、ひたすら語り倒す "ヴィーン1800年ごろ" が現出。1998年東京、2011年ライプツィヒ、2014年ハレとアントニーニの指揮する音楽を聴いた。(音盤の販売戦略とは裏腹に)つねに「王道の人」という印象を受けてきた。このたびもまた、その印象は強まる。そしてその王道は、じつに楽しく愉快で刺激的な道であることも同様に再確認した次第。(2018年10月16日 [火] 於サントリーホール


【CD】
アントニーニ&イル・ジャルディーノ・アルモニコ 録音集

アントニーニ 過去の批評】
ライプツィヒ・バッハ音楽祭2011 (3)
ハレ・ヘンデル音楽祭2014(2)



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プログラム執筆 — 読響第582回定期演奏会

 読売日本交響楽団第582回定期演奏会の楽曲解説と歌詞対訳を担当しました。演目はJ・M・クラウスの《教会のためのシンフォニア》、W・A・モーツァルト交響曲第39番、F・メンデルスゾーンのオラトリオ《キリスト》とカンタータ詩篇第42篇》。指揮は鈴木雅明、独唱はリディア・トイシャー(ソプラノ)と櫻田亮テノール)、合唱はRIAS室内合唱団です。
 珍しい楽曲あり、王道の作品ありの聴き応えあるプログラム。とりわけ、メンデルスゾーンのふたつの声楽作品を、世界最高のコーラスのひとつ、RIAS室内合唱団の演奏で聴けるのは幸いです。鈴木雅明とRIASという組み合わせにも注目。古楽分野の手練れたちが読響とどんな音楽を奏でるか。興味は尽きません。
 読響のプログラム冊子『オーケストラ』の誌面は以下のリンクに(PDF)。解説・対訳とも予習のお供にどうぞ。なお、オラトリオ《キリスト》の対訳は、オーケストラ・アンサンブル金沢の公演にも提供しています。


【解説&対訳】
読響プログラム冊子『オーケストラ』2018年10月号(PDF)


【演奏会情報1】
読売日本交響楽団 第582回定期演奏会
2018年10月26日(金)19:00 東京・サントリーホール
鈴木雅明(指揮), リディア・トイシャー(ソプラノ), 櫻田亮(テノール), RIAS室内合唱団(合唱)
クラウス《教会のためのシンフォニア》◇ モーツァルト 交響曲第39番
メンデルスゾーン オラトリオ《キリスト》◇ 同カンタータ詩篇第42編》

【演奏会情報2】
オーケストラ・アンサンブル金沢 第408回定期公演
2018年11月1日(木)19:00 金沢・石川県立音楽堂コンサートホール
鈴木雅明(指揮), リディア・トイシャー(ソプラノ), 櫻田亮(テノール), RIAS室内合唱団(合唱)
クラウス《教会のためのシンフォニア》◇ モーツァルト 交響曲第40番
メンデルスゾーン オラトリオ《キリスト》◇ 同カンタータ詩篇第42編》


【CD】
RIAS室内合唱団による バッハ《ヨハネ受難曲》
ヤコプス(指揮), ベルリン古楽アカデミー(管弦楽)



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日本フィルハーモニー交響楽団 第704回東京定期演奏会

 ピエタリ・インキネンと日本フィルが、シューベルト交響曲第5番ブルックナー交響曲第9番とで、今シーズンの仕事をスタートさせた。これがとても佳かった。
 シューベルトNr.5にしろブルックナーNr.9にしろ、ひとつひとつの「緊張と緩和」にきちっと筋を通すから、あちこちに仕込まれた「肩すかし」も利いてくる。また "筋の通し方" もすばらしい。緊張感の変わりゆく様子を、力感の変化(弓づかいや息づかいの力動)とレジスターの変化(管楽器の重ね方と、ティンパニを含むバス声部の出し入れ)とで縁取っていく。
 そうするとブルックナーでも、物量作戦というか絨毯爆撃というか、そういう音量競争みたいなことにはならずに、音楽の迫力、緊張感の落差を表現できる。これができれば立派なもので、このコンビが良い方向に歩みを進めているのが分かった。
 あとはコンスタントにこういう結果を出していければ、ファンがもっと増えるはず。要はセリング(売りつけ方)でなくクオリティである。(2018年10月12日 [金] 於サントリーホール



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読売日本交響楽団 第581回定期演奏会

 カンブルランがハースの《静物》とラヴェルの《ラ・ヴァルス》とで、演奏会後半を「静と動」の対比プログラムに"偽装"した。《静物》がその場に留まっているわけでもないし、《ラ・ヴァルス》が動き続けているわけでもない。カンブルランの音楽は静でも動でもなく、「第3の運動性」というか「第3の様態」を示す。
 それは「堆積する音楽」。テクスチュアの異なる布地を、一枚また一枚と舞台に重ねていく。塩瀬だったりお召しだったり、上布だったり縮だったり。それらがときには透けたり、ときには前の布を覆い隠したりしながら、舞台にあらたな音模様を織り出す。四拍子(《静物》)/ 三拍子(《ラ・ヴァルス》)がつねにパルスを打つ、つまり"機織りの規格"が決まっている両作品であるがゆえに、いっそう布地の質感が前面に出た。
 糸(各奏者の音)の質、布の各部分(各パート)の織り模様や色、その模様や色の配置(管弦楽全体)、それが醸し出す手触り(聴き手側の感触)。それらを次から次へと"織り出して"は舞台に重ねる。エネルギーがその場に堆積していくような、こうした演奏の様子はさしずめ、日本の宮中音楽・御神楽のよう。このプログラムを日本の管弦楽団でおこなう意義を強く感じる。
 カンブルランの「大人の仕掛け」を、涼しい顔でやり遂げた読響の仕事に拍手。このコンビはここまで到達したのか。感慨深い。(2018年9月28日〔金〕サントリーホール



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村山則子『ラモー 芸術家にして哲学者』

◇村山則子『ラモー 芸術家にして哲学者 — ルソー・ダランベールとの「ブフォン論争」まで』作品社, 2018年

 17から18世紀にかけて欧州では、アートをめぐるさまざまな論争が巻き起こった。近代文学と古代文学との優劣を競った新旧論争、空間芸術と時間芸術とを区別することにつながったラオコーン論争などだ。なかでも18世紀半ば、フランス音楽派とイタリア音楽派とに分かれて争われたブフォン論争は、その代表と言える。この批判合戦の主役となったのが、ジャン=フィリップ・ラモー、その人だ。
 ラモーはフランスの作曲家。音楽理論家としても一家を成した。この書物はラモーのオペラ作曲家としての側面と、音楽理論家・論争家としての側面とをそれぞれ掘り下げることで、多くの論戦に巻き込まれた彼の立場を立体的に描き出す。全体は2部構成。前半6章でラモーのオペラ創作について触れ、後半5章で彼の音楽理論といくつかの論争とに注目する。
 この書物には軽微な短所と、それを補って余りある大きな長所とがある。短所は同規模の本に比べて、誤字・脱字・言葉の誤用・年紀の誤りをずいぶん多く含むこと。これは刷を重ねるごとに改善されるだろう。長所は、旧来のフランス音楽支持派からの批判や、イタリア音楽派とのブフォン論争など、各対立の内容をつぶさに追うことで、ラモーの創作と理論の独自性を浮き彫りにした点だ。
 先輩音楽家リュリの衣鉢を継いだと自任するラモーではあったが、リュリの音楽を信奉する一派から作品を批判される。これは裏を返せば、ラモーのオペラ改革が着実に進んでいた証拠だ。いっぽう彼は、より急進的に改革を進めようとする共作者ヴォルテールには待ったをかける。ここにフランス音楽の保守本流を任ずるラモーの姿勢が色濃く映る。第2部では啓蒙主義者のダランベールやルソーとの論争を通して、革新性と保守性とがラモーの中でどのように融合しているかということに、徐々に輪郭が与えられる。
 ラモーの創作と理論とが持つ文化的影響力に、ここまで詳細に迫る書物は、本邦に前例がない。


初出:モーストリー・クラシック 2018年9月号


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《ロ短調ミサ曲》私録 XVII【新訂版】

 当方がこれまで実演に接したバッハ《ロ短調ミサ》BWV232の番付を発表するコーナーの第17回。今回はトン・コープマン指揮、アムステルダムバロック合唱団&管弦楽団の来日公演に足を運んだ(2018年9月8日 於すみだトリフォニーホール)。
 コープマンの解釈、つまりイエスの十字架上の死に沈み込むことなく、その後の復活の喜び、神への感謝に照準を合わせる演奏に、希望と癒しの“ミサ曲ニ長調”の姿を見る。独唱陣、とりわけバスのメルテンスにも拍手。
 相変わらずガーディナーの圧倒的第1位は揺らぐことはない。これはあくまで「私録」なので、ランキング内容についてのクレームはご容赦を(笑)

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第01位 ガーディナー, モンテヴェルディ合唱団&イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(ライプツィヒ・トーマス教会, 2010年)
第02位 ユンクヘーネル, カントゥス・ケルン(アルンシュタット・バッハ教会, 2011年)
第03位 ヘンゲルブロック, バルタザールノイマン合唱団&同アンサンブル(同トーマス教会, 2009年)
第04位 ビケット, イングリッシュ・コンサート(同トーマス教会, 2012年)
第05位 コープマン, アムステルダム・バロック管弦楽団&合唱団(同トーマス教会, 2014年)
第06位 クリスティ, レザール・フロリサン(同トーマス教会, 2016年)
第07位 エリクソン, エリクソン室内合唱団&ドロットニングホルム・バロックオーケストラ(同トーマス教会, 2004年)
第08位 NEW! コープマン, アムステルダム・バロック管弦楽団&合唱団(すみだトリフォニーホール, 2018年)
第09位 ブロムシュテット, ゲヴァントハウス合唱団&同管弦楽団(同トーマス教会, 2005年)
第10位 鈴木雅明, バッハ・コレギウム・ジャパンサントリーホール, 2015年)
第11位 ヤコプス, バルタザール・ノイマン合唱団&ベルリン古楽アカデミー(同トーマス教会, 2011年)
第12位 フェルトホーヴェン, オランダ・バッハ協会(東京オペラシティ, 2011年)
第13位 アーノンクール, シェーンベルク合唱団&コンツェントゥス・ムジクス・ヴィーン(サントリーホール, 2010年)
第14位 ブロムシュテット, ドレスデン室内合唱団&ゲヴァントハウス管弦楽団(同トーマス教会, 2017年)
第15位 ミンコフスキ, レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブル(ケーテン・ヤコブ教会, 2014年)
第16位 鈴木雅明, バッハ・コレギウム・ジャパン(バーデン・バーデン祝祭劇場, 2012年)
第17位 へレヴェッへ, コレギウム・ヴォカーレ・ヘント(ケーテン・ヤコブ教会, 2010年)
第18位 ピノック, 紀尾井バッハコーア&紀尾井シンフォニエッタ東京(紀尾井ホール, 2015年)
第19位 ラーデマン, ゲッヒンガー・カントライ、バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト(同トーマス教会, 2015年)
第20位 ブリュッヘン, 栗友会合唱団&新日本フィルすみだトリフォニーホール, 2011年)
第21位 ノリントン, RIAS室内合唱団&ブレーメン・ドイツ室内管弦楽団(同トーマス教会, 2008年)
第22位 へレヴェッへ, コレギウム・ヴォカーレ・ヘント(同トーマス教会, 2003年)
第23位 シュヴァルツ, トーマス合唱団&ベルリン古楽アカデミー(同トーマス教会, 2018年)
第24位 ビラー, トーマス合唱団&ストラヴァガンツァ・ケルン(同トーマス教会, 2006年)
第25位 延原武春, テレマン室内合唱団&テレマン室内オーケストラ(いずみホール, 2011年)
第26位 シュミット=ガーデン, テルツ少年合唱団&コンツェルトケルン(同トーマス教会, 2007年)
第27位 ビラー, トーマス合唱団&フライブルクバロック・オーケストラ(同トーマス教会, 2013年)
問題外 コルボ, ローザンヌ声楽アンサンブル&器楽アンサンブル(東京国際フォーラム, 2009年)



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読響アンサンブル・シリーズ第18回

2018年4月9日(月)よみうり大手町ホール
読売日本交響楽団 アンサンブル・シリーズ第18回 

 読響コンサートマスターの長原幸太と同団の7人の弦楽器奏者が、メンデルズゾーンとエネスクの両「弦楽八重奏曲」を披露した。
 読響の個性は、上布を思わせる響きにある。軽やかな布地はいかにも繊細だが、1本1本の麻糸は強く、こしがある。手触りはさらっとしているが、実際には織り目が浮き立ち、生地はゴツゴツと力強い。こうした特徴は、室内楽でいっそう強調される。個性と個性とをぶつけて、スパークしたところに音楽が鳴り響く。いっぽうで、その火花の取り扱いは精妙だ。
 この方向性は作品とも相性がよい。いずれの八重奏曲も作曲家の若書き。年齢相応の青い情念と、年齢の割に熟した作曲手腕とが同居する。演奏者は、推進力のあるメンデルスゾーンの第1楽章では、麻糸のゴツゴツした力感を、細工物のように声部が重なるエネスクの第1楽章では、地紋の細やかさを感じさせる。奏者はこれらの性質を両者の終楽章で結びつけ、力強く繊細な上布を織り出すのに成功した。

【CD】メンデルスゾーン&エネスク◇弦楽八重奏曲


初出:モーストリー・クラシック 2018年7月号



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